概要
「人間」と「生きる」をテーマにしたオムニバス形式のRPG『ライブアライブ』。そのキーワードが、「オディオ」と呼ばれる存在である。
最初に選べるシナリオは7つあり、そのいずれにも「オディオ」は何らかの形で登場する。しかし、その名前の共通性には深い理由があった。
全てのシナリオをクリアする事で選択できる8つ目のシナリオ「中世編」にて、全てがハッキリする。
まずはオルステッドの項目を参照してほしい。「オディオ」の名を持つ者たちの大元、そしてその哀しすぎるルーツがわかるはずだ。
知るがよい‥‥
オディオの意味を‥‥
それは‥‥
太古の昔より‥‥
はるかなる未来まで!
平和なる時も‥‥
混乱の世にも!
あらゆる場所!
あらゆる時代に!!
戦いの火ダネとなるものッ!!
それは人間が存在する限り
永遠に続く『感情』なのだ‥‥
その感情の名を‥‥
『憎しみ』あるいは‥‥
『オディオ』というッ!!
魔王オディオの誕生は、最後の9番目のシナリオ「最終編」の合図でもある。その最終編では、主人公を1人だけ選んで物語の続きを進める事になる。
当然その候補には魔王オディオ本人であるオルステッドも入っている。
プレイヤー自身が魔王となる――その内容とはなんと、人間を根絶やしにするため、本編のボスを操って他の主人公たちを皆殺しにするというものだった。
口おしかろう‥‥
お前達とて‥‥ 自分の欲望‥感情のままに‥‥素直に行動していただけなのだから‥‥。
ただ‥‥お前達は敗者ゆえに悪にされてしまった‥‥
そう‥‥
勝った者こそが正義なのだ!歴史とは勝者の歴史なのだ!!
敗者には‥‥明日すらもないッ!!
ならば‥‥
はるかなる場所も‥‥はるかなる時をも超え‥‥その歴史を変えてみせよう‥‥!
この7つの石像と!この私の持つ‥‥『憎しみ』の力で!!
戦うのだ‥‥『憎しみ』の名を持つ者達‥‥
我々は‥‥
敗者ではないッ!!
- 純粋に、本能のままに厳しい大自然の中を生き抜いてきた恐竜。
- 人間に作られ、生まれながらに人間を守る役割を押し付けられ、その人間の身勝手さを見てジレンマに陥った人工知能。
- 海の向こうから来た侵略者の勝手な動機で殺され、その無念が集まって生まれた戦士。
- 己を厳しく鍛えんがため、未熟な門下生がもたらす悪評を覚悟の上で、自ら雇った暗殺者に狙われながら生きる拳士。
- 強くなりたいという誰もが持つ願望を叶えたがために、命のやり取りを余儀なくされた格闘家。
- 人間の歴史につきものである「憎しみ」を克服できる、より高尚な精神性を求めるあまり、人間を改造する結論にたどり着いてしまった軍。
- 諸外国の脅威にさらされた幕末を生き抜く力を求め、人外の力を得た将軍。
彼らこそが、これまでのシナリオで戦ってきた「オディオ」の正体である。
オルステッドと同じく、誰もが単純な悪とは言い切れない者ばかり。もしかしたら後世にて評価を受けていた可能性さえあったかもしれない。
そう……負けてさえいなければ。
そしてオルステッドは、誰にも負けていないにも関わらず、その存在をもはや周囲から悪として見られてしまっていた。
自らの存在意義を喪失したオルステッドは、新たな存在意義、ある意味では心の拠り所という希望を得るため、魔王となる道を選んだ。
もし、上記の「オディオ」たちが勝っていたら、彼らはちゃんと存在意義を認められただろうか?
繰り返すが、オルステッド本人は決して敗者ではない。もしかすると、自分が生きてきた道が間違っていなかった事を、証明してもらいたかったのかもしれない。
歴史が敗者が悪と見なすのならば、敗者ではない自分がどうして悪の烙印を押されるのか。
同じようにオディオたちが勝てば、このジレンマを覆してくれるだろうか。
こうして、当時のRPGとしては極めて珍しい、それまで敵だと思っていた人物に立場を移して、歴史をやり直すための戦いが始まるのである。
最後の手段「ハルマゲドン」
本編のボスは、ボスと言うくらいだから、そう簡単には倒れない。しかも、オディオ本人の強さを上乗せしているため、負け戦のようなバランスであっても容易くひっくり返すことができる。
とはいえ、それでも場合によってはピンチに陥ってしまう事もあるかもしれない。もしも負ければ、彼にとって最も憎い人間が世界に繁栄するのを許す結果になってしまうだろう。
……だが、さすがに憎しみで魔王に成り果てた彼に隙はない。もしもの時に備え、最終手段が使えるのである。
その名こそ「ハルマゲドン」。
使うとどうなるか。それは――
全ての世界・全ての時代を跡形もなく吹き飛ばす。
何もかも、なにもかも、無に還してしまう。
人間を憎むあまり、これ以上後悔する事も許されない、何もない世界になった。
…AFTER ALL…
EVERYTHING WAS BLOWN AWAY…
外見
オルステッド以外の主人公で挑んだ場合、当然ながら最後の敵として立ちはだかる彼。
オディオアイ2体、オディオマウス、本体のピュアオディオ(オディオモール)に分かれている。
ピュアオディオにはオルステッドだった頃の面影は一切残っていない。
オルステッドで最終編を始めた場合、彼は人間だった頃の姿のままだが、それには重要な意味があるらしい。
pixivではオルステッドに赤い翼を付けただけの姿で描かれることが多い。
備考
彼を主人公とした場合の最終編では、「獣とて空腹の時以外、必要以上に命を奪わぬ」と発言し、人間を獣以下と罵るが、これは道徳の本などにしか出てこない嘘である。
実際は動物も群れの中の権力を巡って同族と殺し合ったり、新しく群れのリーダーになった者が前のリーダーの子供を殺したり、暇潰しに他の生き物を殺したりといった事は当たり前のように行う。
言い換えれば、人間も獣に過ぎないという事でもある。また、(間違った情報とはいえ)道徳の本(=人間が編集した書物)に書かれているような言葉を引用する点から、それが彼が人間である事の証拠と言えよう。
また、彼が人間であるならば、最終編のルクレチアには最後に一人だけ生き残りがいたという事になる。そして、その生き残りを他の時代の主人公たちを使って完全に滅ぼした者が存在する事実が浮かび上がる。
ここで今一度思い出してほしい。魔王オディオを倒した各時代の主人公が誰一人も人間がいなくなったルクレチアを後に元の時代へ帰っていったエンディングは、本当にハッピーエンドと言えるのか?
そもそもオルステッドの人生を狂わせ、ルクレチア滅亡の一番の原因となる選択をしたのは一体誰だったのか?
そして、魔王オディオが最後に遺した言葉は本当は誰に対して投げかけられたものだったのか?
これらを踏まえると、魔王オディオの正体を知った上で結果的に完全にルクレチアの人間を滅ぼした魔王、もしくは全ての世界を吹き飛ばした魔王とは『ライブアライブ』という物語を最初から最後まで見届け、各主人公はおろかオディオの名を冠する者たちをも操れた者としか言い様がないという考察がある。
オルステッドの言う通り、その破滅へと導く魔王は、ゲームの中にはどこにもいなかった。
また、その魔王は、魔王オディオの正体を知った上で魔王オディオを倒している。
果たしてこの魔王の存在に気付いた人は、「魔王」に対してどんな感情を抱くのだろうか?
最後に、どうしても中世編が納得がいかないし、オルステッドを魔王にも不幸にもさせたくない、そんな時のひとつの手段が実は気付きにくいところにある。
それは……
中世編を開始しない事である。
シナリオ開始に対して『よろしいですか?』の問いに『はい/いいえ』の選択肢があるわけで、当然拒否する事ができる。
拒否したところで何かイベントもエンディングも始まるわけでもないが、中世編をプレイする義務はない。
他の編にもそれぞれスタッフクレジット入りのエンディングがあるのだから、そこで止めても問題ないように出来ているのである。