曖昧さ回避
- サンドウィッチマン(サンドイッチマンとも、sandwich man)とは、広告宣伝手法の一つで、人の胴の前面と背中の両方に宣伝用の看板を取り付け、町中にたたずみ、あるいは歩行する広告手法、およびその看板を取り付けられた人のこと。
- アメリカでサンドイッチ製造販売人のこと。
- お笑いコンビ「サンドウィッチマン」。こちらでは3.を紹介。
お笑いコンビ「サンドウィッチマン」
概要
グレープカンパニー所属。伊達みきおと富澤たけしで組まれたコンビ。コンビ名の由来は元々、三人組で活動していて、真ん中にいたメンバーがガリガリの体型だったため、サンドウィッチのようだということでこの名前になった。
コンビ紹介
伊達みきお(本名 伊達幹生)
1974年9月5日生まれ ツッコミ担当
仙台藩主伊達政宗の末裔(ただし一般に知られる17代目の藤次郎正宗ではなく9代目の大膳太夫正宗の方)で、特技はゆで卵と生卵を見分けられること。
富澤たけし(本名 富澤岳史)
1974年4月30日生まれ ボケ担当
ネタ作りは彼が行っている。
来歴
二人とも仙台市出身で、高校の同級生であり、二人が出会ったのは高校のラグビー部だった。高校卒業後は、芸人志望だった富澤は、就職すると辞めにくいという理由からアルバイトをし、伊達は、専門学校をわずか3か月で中退してその後会社員として働いていた。その頃富澤は別の相方と組んでアマチュア芸人として活動していて、1995年に仙台に進出した吉本興業(仙台吉本)への所属を目指していたが、所属前に仙台吉本が撤退したため叶わなかった。そして、元々伊達と組みたかった富澤は、当時会社員だった伊達に声をかけ、3年がかりで口説き落とした。1998年に二人は上京し、コンビを結成。当時のコンビ名は『親不孝』だった。その後トリオとして『サンドウィッチマン』を結成したが、一人が脱退し、再びコンビとして活動することになった。コンビ後は主にライブで活動しウケていたがテレビ関係者の目に留まることは無かった。そして多くのライブに出演していたある時、会場にテレビカメラが入り、ついに日本テレビのエンタの神様に出演することが決まり、2005年にエンタの神様でテレビ初出演を果たした。さらに2007年に開催されたM-1グランプリでは、吉本興業以外の出身者で、なおかつ敗者復活枠からの優勝を果たした。吉本以外でのM-1優勝者はますだおかだとアンタッチャブルに続いて三組目である。
2011年3月11日、この日ロケで宮城県気仙沼市に来ていた二人は東日本大震災に遭遇。スタッフの指示で高台に避難したが、直後に津波が気仙沼を襲い、それに伴う火災で降りれなくなるが、翌日、自身のそれぞれのブログで無事を報告し仙台に戻り、その後10時間かけて東京に戻った。この時、複数のテレビ・ラジオの災害特番でインタビューに応じている。震災後はブログを安否確認のために使ってほしいと開放したほか、「東北魂」と銘打ったチャリティ活動を東北出身の芸能人たちと行っている。また、2013年3月7日から新しくなる津波警報のPR役として気象庁のポスターに出演している。