ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
福良淳一の編集履歴2017/06/19 11:25:05 版
編集者:官兵衛
編集内容:新規記事作成

福良淳一

ふくらじゅんいち

福良淳一は1980年代~1990年代に活躍した元プロ野球選手。(内野手) 2016年よりオリックス・バファローズの監督を務める。

経歴

1984年のドラフトで阪急ブレーブスに6位指名され入団。

背番号は後にイチローが背負う51番で、1987年まで3年間着用していた。

1988年に背番号を1に変更。この年はベストナインに選ばれた。

チーム名がオリックス・ブレーブスに変わった1989年には、近鉄との開幕戦で本塁打を打ったが、これがオリックスとなって最初の本塁打だった。

ブルーサンダー打線の一角を担ったが、同年は西武・近鉄・オリックスの三つ巴の末に近鉄が優勝し、オリックスは勝率の差で惜しくも2位に終わった。

チーム名がオリックス・ブルーウェーブに変わった1991年からは内野陣のまとめ役となり、イチローが一軍に定着してからは、その前後を打つ二番打者として犠打やエンドランといったチームバッティングに徹し、1994年に2度目のベストナインに輝いた。

1995年1996年は、チームが2年連続でリーグ優勝し、96年には日本一にも輝いた。

しかし膝を故障し、自身も既に36歳と高齢になっていたため、翌1997年は出場機会が大幅に減少し、現役引退を決意した。

現役引退後もコーチとしてオリックスに残り、2000年に退任。

2005年から2012年には北海道日本ハムファイターズのコーチ・二軍監督を歴任する。

2013年に古巣オリックス・バファローズのヘッドコーチとなったが、2015年途中に

監督の森脇浩司が休養。残りのシーズンを監督代行として指揮し、2016年より正式に監督に就任。

なお、阪急ブレーブス出身の監督は、合併後では初である。

関連記事

福良淳一の編集履歴2017/06/19 11:25:05 版
編集者:官兵衛
編集内容:新規記事作成
福良淳一の編集履歴2017/06/19 11:25:05 版