福良淳一
ふくらじゅんいち
福良淳一は1980年代~1990年代に活躍した元プロ野球選手。(内野手)
2016年よりオリックス・バファローズの監督を務める。
経歴
背番号は後にイチローが背負う51番で、1987年まで3年間着用していた。
1988年に背番号を1に変更。この年はベストナインに選ばれた。
チーム名がオリックス・ブレーブスに変わった1989年には、近鉄との開幕戦で本塁打を打ったが、これがオリックスとなって最初の本塁打だった。
ブルーサンダー打線の一角を担ったが、同年は西武・近鉄・オリックスの三つ巴の末に近鉄が優勝し、オリックスは勝率の差で惜しくも2位に終わった。
チーム名がオリックス・ブルーウェーブに変わった1991年からは内野陣のまとめ役となり、イチローが一軍に定着してからは、その前後を打つ二番打者として犠打やエンドランといったチームバッティングに徹し、1994年に2度目のベストナインに輝いた。
1995年と1996年は、チームが2年連続でリーグ優勝し、96年には日本一にも輝いた。
しかし膝を故障し、自身も既に36歳と高齢になっていたため、翌1997年は出場機会が大幅に減少し、現役引退を決意した。
現役引退後もコーチとしてオリックスに残り、2000年に退任。
2005年から2012年には北海道日本ハムファイターズのコーチ・二軍監督を歴任する。
2013年に古巣オリックス・バファローズのヘッドコーチとなったが、2015年途中に
監督の森脇浩司が休養。残りのシーズンを監督代行として指揮し、2016年より正式に監督に就任。
なお、阪急ブレーブス出身の監督は、合併後では初である。