三十年式銃剣とは、大日本帝国によって開発された銃剣である。
三十年式歩兵銃と共に開発されたもので、採用後より大日本帝国で使用されたほぼすべての小銃に使用された。
例外は、専用の銃剣がある二式テラ銃や折畳式の銃剣を備える四四式騎銃等のごく一部である。
概要
独特の細長いシルエットから「ゴボウ剣」と呼ばれ、「白兵戦の日本軍」の象徴となった銃剣である。
この銃剣は体格が欧米人に比べて極めて劣る日本人(1930年代でも成人男子の平均身長は165cmだった)のリーチを補うために特に長く作られ刃渡り400mm、全長は512mmとされた。
三十年式歩兵銃、三十五年式海軍銃、三八式歩兵銃、九九式長小銃までの全長が長い小銃は、着剣すると全長が1650mmを超え、白兵戦では槍のように扱えた。
刀身は白磨きと黒染の二種類が、鍔は鉤状と直線状の二種類、柄の仕上げの状態、鞘の形状などによってバリエーションは無数に存在する。
更に主力小銃よりも多くの工場で製造されていた事からも、バリエーションの多さに拍車を掛けている。
三十年式銃剣は、少しずつ姿を変えながら1945年の終戦まで主力として使用され続け、1960〜70年頃に自衛隊から執銃訓練用となった九九式小銃が完全に姿を消すとともに役目を終えた。
日本軍と銃剣
大日本帝国陸軍では、白兵戦においてこの銃剣を重要視し大いに信頼を寄せていた様子である。
戦技の教育と研究を行っていた陸軍戸山学校において、太平洋戦争中に捕虜とした米軍兵と日本兵を模擬白兵戦をさせた事があった。
無論捕虜虐待を目的としたものでは無く、純粋に研究を行うものであったと思われるが、米軍兵は銃剣はもちろんのこと、銃床による打撃で日本兵を昏倒を狙ったりとバリエーションに飛んだ戦術を繰り出した事に対して、日本兵の場合は専ら銃剣による刺突を重視し、時にこれに固執するあまり不利となることもあったという。
しかしながら、ある戦場では奇襲攻撃に使う音の出ない兵器として、また軍歌の一節にあるように「最後の決は我が任務(軍歌:歩兵の本領 より)」と攻撃戦の最終的な局面において、或いは持ち主の兵士と共に壮絶な最期を遂げたりと、大日本帝国陸海軍の兵士と共にあらゆる場面で登場する象徴的な武器であった。