袁術死去により一族は没落し、袁術の従弟の袁胤に身を寄せた。
袁胤と一族は袁術の元部下だった劉勲を頼ったが、劉勲は袁術のもう一人の元部下孫策に攻められ、袁夫人も捕虜の一員として手に入れている。今度は孫氏に仕えることになった。
後に袁姫は孫権の側室(妃嬪)となり、孫権から寵愛を受け、でも、出産できない。歩夫人死去後に皇后になる事を懇願されたが、子がいなかったため袁姫は断っている。
同じ美人だから、後の皇后となる潘皇后からの嫉妬を買っている、潘皇后は沒になる前に、袁夫人は多くの誹謗中傷を受けた。この後の記載はない。
正史は「人徳が高い」評価を得た。自称皇帝の娘から呉の皇帝の妻となった訳だが、皇帝になりたかった父に対し皇后になることを拒んだ娘、対照的な親娘である。