概要
中華人民共和国国務院交通運輸部が管理する国家局として
1949年、中国共産党政治局会議において、人民革命軍事委員会の下に中国民用航空局を設置し、空軍の指揮下に入ることが決定。共産党側についた中国航空公司、中央航空公司から資機材と技術提供を受ける。
1958年:国務院の決定により交通部の一部局となり、2年後交通部民用航空局と改称し、全国の航空交通を総合管理する機構として、航空経営の責任を負い、各地区の民用航空管理局を直接指揮をする。
1962年、中国民用航空局と改称、国務院直属の部局となる。業務、幹部人事等は空軍が管理責任を負うことに。
1987年、民航の体制を改革し、航空会社と空港の経営分離がなされる。(下記参照)
2002年、 空港も今後省、区、市による地域ごとの管理下に置き、資産、負債、人員などの責任を負うことが決定。(但し北京首都国際空港とチベット自治区内の民用空港は引き続き民航総局が管理する。)
2004年、全国の空港の管理権限移譲が完了。
2008年、中国民用航空局と改称する。
航空会社として
1973年3月、初めて東京国際空港(羽田空港)に飛行。
1980年、「民航は企業化するべきだ。」との鄧小平により軍の管理を受けない国務院直属の機構となり行政機構と経営機構を分離し、 中国民航(CAAC)の名称で航空運輸を独占する全国企業となる。
1988年、航空会社と空港の経営分離がなされ、地区管理局ごとに航空会社を設立する。
※海外を結ぶ国際線、IATA航空会社コード(CA)、ICAO航空会社コード(CCA)、コールサイン:(Air China)も引き継ぐ。
・成都管理局→西南管理局、中国西南航空(成都双流国際空港)→中国国際航空
・西安管理局→西北管理局、中国西北航空(西安西関空港→西安咸陽国際空港)→中国東方航空
・瀋陽管理局→東北管理局、中国北方航空(瀋陽桃仙国際空港)→中国南方航空
1989年、貨物輸送等をする中国通用航空公司を、1990年、旧民航各社が中国航空油料総公司、中国航空器材公司を設立する。
2002年、民航系航空会社を中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空の3社に統合し、関連企業の中国民航情報集団公司、中国航空油料集団公司、中国航空機器材輸出入集団公司と合わせて6大集団公司として独立。