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瀋陽

しんよう

瀋陽(簡体漢字: 沈阳、満州語: ᠰᡳᠮᡳᠶᠠᠨ)は、中華人民共和国遼寧省の省都、常在人口は825万人の大都市。市名は「瀋水ノ陽」の意味で、市内の南部を流れる渾河の古名・瀋水の北に位置することから由来する。
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概要

近隣都市圏は撫順の石炭・鞍山の鉄鉱石、やや遠いが黒竜江省大慶市の油田など豊富な資源を生かした一大コンビナートとして工業面を支えた。

在外公館として在瀋陽日本国総領事館がある。

1926年~1974年まで路面電車は走っていたが廃止された。

2013年に新規のトラム路線が開通し、6系統がある。


歴史

歴史は大変古く、7200年前の定住集落の遺跡)もあったことから地域の重要重要拠点になっていた。

唐代は瀋州が置かれ、元代には瀋陽路、明代には瀋陽中衛が設置されていた。

17世紀初、満州族のヌルハチは後金(後清)を建国、瀋陽を都城と定め、1634年には盛京(満州語: ᠮᡠᡴ᠋ᡩᡝ᠋ᠨ)と改称する。

1644年に明朝の滅亡後の全部を支配し、北京に遷都、盛京はその後も副都とされた。

1657年には奉天府が設置。1664年には、奉天府の府治の下に承徳県が新設される。

19世紀後半以降、ロシア帝国の南下政策に対抗すべく、禁地政策が解禁され開発が急速に推進する。

1903年には東清鉄道南満州支線が完成してロシア帝国の勢力下に入り、日露戦争中の1905年、奉天会戦の舞台となる。

1911年に承徳県が廃止され奉天府の直轄としたが1912年、辛亥革命により清朝に替わって

中華民国になった1913年2月に奉天県、4月に承徳県、5月に瀋陽県と改称される。

1923年には奉天市が設置され奉天省の省会とされたが1929年にはそれぞれ瀋陽市、遼寧省と改称する。

その後張作霖張学良親子を代表とする奉天軍閥の拠点の一方で鉄道駅を中心とする市街地の大半は南満洲鉄道の付属地となっていた。

1931年9月18日、日本は南満州鉄道の一部を爆破し、これを口実に満州事変(九一八事変)を起こした。その後、日本の関東軍に占領され、偽満州国建国。事実上日本の植民地となると共に奉天市政府が成立する。

1945年に日本敗戦後、偽満州国と奉天市政府が崩壊。2年後中華民国政府は再び瀋陽と改称し、直轄市と指定したが、国共内戦の結果1948年11月には中国共産党の勢力圏に入った。

中華人民共和国が成立した1949年には中央直轄市に昇格、1954年に地級市に改編され遼寧省の省都になった。1994年地級市から副省市に昇格して現在に至る。


2004年に、瀋陽故宮ならびに東陵(清太祖ヌルハチの墓廟)、北陵(清太宗ホンタイジの墓廟)などが「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」というかたちでユネスコ世界遺産に追加登録された。


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