概要
1908年に遼寧省台安県桑樹林子郷で張作霖の長男として生まれ、2001年に没した。
1928年6月4日に父の張作霖が関東軍に爆殺されたのをきっかけに蔣介石に接近、国民政府傘下に入るように。
満州事変勃発後の1933年に下野、外遊。1934年帰国後は共産軍討伐で転戦するが、一致抗日の必要性を認めさせるため1936年に蔣介石を監禁する西安事件を引き起こし、第二次国共合作の瑞緒を開いたが事件後に逮捕される。
日中戦争中は貴州に、戦後も台湾で軟禁生活を送るように。しかし蔣介石の死後、次第に行動の自由が許されるようになり、1991年に釈放。ハワイに隠棲するようになった。
張学良の言葉
晩年の張学良は日本の取材班のインタビューに応じた。
(一部引用)私は、一生を日本によって台なしにされました。私は日本に父親を殺され、家庭を破壊され、財産も奪われたのです。・・・・私は日本の若者にぜひとも言いたいことがあります。日本の過去の過ちををまずよく知ってください。そして過去のように武力に訴えることを考えてはいけません(孔子の言う「忠恕」の忠は国に対する忠誠で、恕とは他人を許す心です)。
日本は忠のほうはありますが、恕が少なすぎます。つまり思いやりが少ないのです。日本政府は外国に対しても、また国民に対しても、恕がないのです。・・・・私は日本の若者だけではなく、日本の責任ある立場の人にも、他人を思いやる気持ちを持ってほしいと願います。・・・私はもし昔、日本の若者とよりよく理解し合っていたならば、歴史はどうなっていたかとさえ考えさせられます。だから私は世界の若者に期待を抱いています。・・・」<NHK取材班『張学良昭和史最後の証言』1991 角川書店 p.241~、p.260
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参考
- 世界史の窓