ザスパクサツ群馬
ざすぱくさつぐんま
解説
創設年 | 1995年 |
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加盟年 | 2005年 |
ホームスタジアム | 正田醤油スタジアム群馬 |
クラブカラー | 紺・黄 |
マスコット | 湯友 |
旧称はザスパ草津。
2002年までは群馬県リーグ所属であったが、そこからわずか2シーズンでJリーグに加盟。この旋風は非常に話題となった。
現在の最高順位はJ2で9位。2011年に初めてJリーグでのシーズン勝ち越しを果たした。
草津町だけでなく群馬県全体のクラブへという思いから、2013年に現クラブ名に変更。ザスパ群馬としなかったのは、報道等でクサツを略されるのを防ぐためである。
ユニフォームの胸と背スポンサーは、Jリーグで唯一1年おきに入れ替わる方式となっている(当該企業はグループ会社ではあるが)。
2017年のザスパクサツ群馬
2017年10月15日、ホーム正田醤油スタジアム群馬で行われた東京ヴェルディとの一戦に1-2で敗れた最下位ザスパクサツ群馬は残り5試合で20位カマタマーレ讃岐との勝ち点差が16を追いつくことが出来なくなってしまったため2018年度のJ3降格がほぼ決定してしまう。
一応この先ザスパクサツが21位に上がったうえでJ3リーグにおいてJ2クラブライセンスを保有していないアスルクラロ沼津とブラウブリッツ秋田のどちらかが2位でフィニッシュすれば残留も可能であるが21位レノファ山口との勝ち点差は9である。
なぜこのような事態になってしまったのか、端的に言えば頭が腐れば体も腐るというやつである。
始まる前から終わってた
2017年のザスパクサツ群馬。それは一人の人間による狂気である。
まずシーズン前に昨年の残留の立役者である服部監督とS級ライセンスを持つ衛藤コーチと吉澤コーチを金もないのに違約金を払ってクビにし代わりにやってきたのはプロクラブでのコーチ経験のない埴田健氏と通訳兼任のホチョル氏でこの時点でヤバい雰囲気しかしないのに新任の森下仁志監督に対しては戦術的サポートをするヘッドコーチを付けなかったため氏以外にS級ライセンス取得者がいない状態が出来上がる。しかも選手も31人中18人が新加入選手でそのうち10人がルーキーという破滅願望に憑りつかれたかのような人員交代がなされることになる。
それだけならよかったのだけどもこれだけ終わらないのがこのチームの恐ろしさである。
ファンが離れました
森下新体制になってからそれまで行われていたファンサービスが激減することになる練習見学エリアをかなり遠ざけほとんど非公開練習のみとなりおおよそ地域密着を理念に掲げるJリーグのクラブとは思えない暴挙をしでかしてしまう。
すみません、選手たちの練習を見て目を輝かせる子どもたちも見に来るんですよ、チームにとってまずいのはザスパクサツに対して一番夢を持ってくれるはずの子ども達と、そして地域にとってもチームに対する不信が募る事じゃないんでしょうか。
開幕そして終了
そうした問題を抱えたままシーズンがスタートするもののやはりというべきかひどいありさまになる。チームは開幕から2か月以上経った5月7日の第12節ロアッソ熊本戦で初勝利を挙げるまで1分10敗得失点差-19(5得点24失点)でさらに毎試合失点という悲惨な成績を残すことになる。
なんせ戦術的なアドバイスをするコーチがいないため選手たちの判断任せになりDFラインは若手が多く動揺を抑えるベテランもいない、本来であればDFリーダーとしてチームを統率するはずのDF坪内秀介選手はいつまでもベンチ外ときた。
本来であれば監督の更迭が考えられるがチームには監督をクビにした後の指揮を執るS級ライセンス保持者がおらずそもそもオフの人事で3300万円の赤字を抱えて純資産もほぼないので監督招聘も不可能。いわゆる詰みである。
マスコット
湯友。パッと見何がモチーフか分からないが、獅子である。
スタジアム
正田醤油スタジアム群馬。草津町にはさすがに規定を満たすスタジアムはできず、ザスパ草津時代から前橋市にあるスタジアムを使用している。
これまでゴール裏は芝生席であったが、2014年にホームゴール裏に座席スタンドが完成。付せて大型映像装置も設置された。
最も近い駅はJR上越線の群馬総社駅(約3km)であるが、通常は前橋駅からのシャトルバスを利用。近くに行かれる一般の路線バス(前橋~渋川)も本数が多い。
自動車利用では、敷島公園内の駐車場をまず使うこととなるが、近隣の状況にもよるが利根川の河川敷やグリーンドーム前橋の駐車場も利用できることがある。グリーンドームからは結構距離があるが散歩がてらで。