概要
第一次世界大戦中、地中海で『トランシルバニア号』の救援に当たった『第2特務艦隊』をイギリス政府が称えた言葉。
地中海への派遣
第一次世界大戦中の1917年1月、日本はイギリスからの要請に基づき、同盟国軍の潜水艦による攻撃から連合国の輸送船を守るため特務艦隊を派遣し、地中海に派遣された『第2特務艦隊』はマルタ島を根拠地とした。
1916年下半期だけでイタリア船136隻、イギリス船96隻、フランス船24隻が沈められ、1917年2月にはドイツが「無制限潜水艦戦」を宣言し、被害は更に増加していた。
『第2特務艦隊』では1917年6月11日、駆逐艦『榊』で潜水艦の攻撃により59人が死亡したのをはじめ、派遣中に78人の戦死者を出し、マルタ共和国のイギリス軍墓地に慰霊碑が建てられている。
『トランシルバニア号』沈没
1917年5月3日、アンカー・ライン社(イギリス)の客船『トランシルバニア号』はイギリス陸軍部隊やその装備などを乗せ、『第2特務艦隊』の『松』と『榊』に護衛され、マルセイユからアレキサンドリアへ向けて出港した。
5月4日、ジェノバ湾サナボ沖で、ドイツ海軍潜水艦『U-63』の発射した魚雷1本が『トランシルバニア号』の左舷機関室に命中。『松』は『トランシルバニア号』の横に付けて移乗作業を行い、『榊』は爆雷攻撃を行った。
20分後、『トランシルバニア号』に再び『U-63』の魚雷が命中。『松』でも艦首部の一区画が浸水し、見張員と砲員2名が負傷した。『トランシルバニア号』の傾斜が増大し、『榊』も救援に加わった。
1時間ほどで『トランシルバニア号』は沈没し、乗員10名、陸軍の士官29名、兵士373名が死亡したが、乗員の殆どが救出された。
『トランシルバニア号』の被災者を降ろすためサボナ港(イタリア)に入港した『松』と『榊』は地元民から歓迎された。
5月6日にマルタへ向け出港する際は、市民や救助された兵士が港に大勢詰めかけて見送った。
「港口の鎖(し)まらぬ前にと、六時半に水先案内人(パイロット)が来る。七時に榊がまず出て、松も次いで出港、海岸には救助された英國の陸兵が黒山のように集って別を惜しむ。陸の方を見ると、海岸の通、山際の高い道、二階、三階の窓、縁側(ベランダ)、悉(ことごと)く人をもって満たされ、帽を振り、手巾(ハンケチ)を振り、心なき子供まで手を挙げて出港に景気を添える」(『日本海軍地中海遠征記』より)
当時のイギリス海相、ウィンストン・チャーチルは特務艦隊司令部に感謝の電報を送り、国王ジョージ5世からは横地錠二中佐以下の士官7人、下士官20人に勲章が授与された。
封鎖大臣ロバート・セシルがこの件を下院議会で報告すると、日本語で「バンザイ」が唱和された。