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概要編集

現在のイギリス王室ウィンザー朝」の始祖となった君主(1865年6月3日~1936年1月20日)。

グレートブリテン及びアイルランド連合王国国王、イギリス海外自治領の国王、インド皇帝を兼務した。


略歴編集

1865年6月3日、サクス=コバーグ=ゴータ朝のアルバート・エドワード王太子の次男として誕生。

1877年、兄のアルバート・ヴィクター王子と共に海軍兵学校に入学。

1879年、海軍兵学校を卒業し世界各国を歴訪。

1886年、海軍大尉となる。


1892年1月14日、アルバート・ヴィクター王子が肺炎により死去し、王位継承のため海軍を退役。

1893年7月6日、アルバート・ヴィクター王子の婚約者だったヴィクトリア・メアリーと結婚。

1901年1月22日、父がエドワード7世として即位。

1910年5月6日、エドワード7世が死去し、ジョージ5世として即位。


1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発。

1917年7月17日、国民の反独感情を考慮し、サクス=コバーグ=ゴータ家をウィンザー家に改名し、ウィンザー朝の初代国王となった。

1918年7月17日、従弟のロシア皇帝ニコライ2世ボリシェヴィキによって処刑される。11月11日、第一次世界大戦が終結。


1922年、希土戦争に敗れたギリシャ王国でクーデターが起き、従弟のアンドレアス王子が死刑を宣告されたため、軽巡洋艦カリプソ」を送って救出した。

1926年、「帝国内の自治領諸国の地位は本国と平等とする」の旨を記したバルフォア報告書を作成し、採択・宣言された。

1931年、王太子エドワードがアメリカ人既婚者女性ウォリス・シンプソンとの結婚を望むようになり、王位の継承について悩まされる。

1936年1月20日、風邪をこじらせて死去。享年70歳。


余談編集

ロシア帝国最後の皇帝であるニコライ2世とは従兄弟同士(二人の母親が姉妹)であり、親族でさえ見分けがつかないほど顔立ちがそっくりだった。両家が集まる際に二人はお互いの衣装を取り替え、お付きの者や家族が間違える様子を楽しむいたずらをしていた。また、ロシア革命後にイギリスに亡命したニコライ2世の家臣が、ジョージ5世に拝謁した際にニコライ2世と見間違えて思わず跪いたというエピソードが残っている。


関連タグ編集

イギリス イングランド イギリス王室 ウィンザー朝 キング・ジョージ5世

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