キング・ジョージ5世
きんぐじょーじごせい
いずれもイギリス海軍が建造し、イギリス国王ジョージ5世に因んで命名されている。
- オライオン級戦艦2番艦。1910年にモナークに改名。
- (初代)キング・ジョージ5世級戦艦1番艦。当初はロイヤル・ジョージだったが、キング・ジョージ5世に改名。
- (2代目)キング・ジョージ5世級戦艦1番艦。
1910年4月1日起工、1911年3月30日進水、1912年3月竣工。
ドイツ帝国海軍による弩級戦艦の大量建造に対抗した1909年度海軍計画で、コロッサス級に次いで建造されたオライオン級の2番艦。建造途中でモナークに改名。
ドイツ帝国海軍による弩級戦艦の大量建造に対抗した1910年度海軍計画で、オライオン級に次いで建造された(初代)キング・ジョージ5世級の1番艦。
1911年1月16日起工、10月9日進水、1912年11月就役。
1914年12月16日、ドイツ艦隊がスカーバラ港、ハートルプール港、ウィトビー港を襲撃。イギリス大洋艦隊に加わってドッガー・バンクでこれを追撃するが、すべて取り逃がしてしまった。
1916年5月31日、ユトランド沖海戦に参加。唯一の主力艦隊同士による決戦となった。日没寸前、戦艦ヴェストファーレンと数度の砲撃を交えたが、これが第一次世界大戦における戦艦同士の最期の戦闘であった。
1920年9月14日、地中海艦隊に配属される。
1923年1月、イギリスへ戻り砲撃訓練船になる。
11月に予備役となり、海軍の訓練施設として利用される。
1926年9月28日、退役。
1927年、スクラップとして売却された。
第二次世界大戦前にイギリス海軍が建造した超弩級戦艦。(2代目)キング・ジョージ5世級戦艦の1番艦。
海軍軍縮条約の制限により、14インチ4連装砲塔と連装砲塔の混載など、独特な姿となった。
1937年1月1日起工、1939年2月21日進水、1940年12月11日就役。
1941年5月27日、ドイツ海軍戦艦ビスマルク撃沈に加わる。
1942年5月1日、PQ15船団の護衛中、機雷を避けた駆逐艦パンジャビに衝突。パンジャビは2つに折れて沈没した。
1943年7月12日、姉妹艦「ハウ」と共にトラーパニ港(シチリア島)を砲撃。
9月8日、イタリアは連合国に降伏。
9月9日、イギリス第一空挺師団によるタラント上陸(スラップスティック作戦)を支援。イタリア艦隊のマルタ島への投降に同行する。
1944年3月より、リバプールで修理を行い、対空機関砲やレーダーを増設。
10月28日、トリンコマリー(スリランカ)のイギリス太平洋艦隊に加わるため出発。道中でミロス島(ギリシャ)のドイツ軍基地を砲撃し、12月15日に到着。
1945年1月24日、空母部隊のパレンバン製油所空襲(メリディアン作戦)を支援。
5月、先島諸島の日本軍を攻撃。
7月17日、アメリカ艦隊と共に日立市を艦砲射撃。
7月29日、アメリカ艦隊と共に浜松市を艦砲射撃。
9月2日、東京湾に移動し、日本の降伏文書調印式に参加。
1946年3月、ポーツマス(イギリス)に戻り、訓練艦となる。
1950年6月、退役。
1958年、スクラップとして売却された。