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メアリー・ステュアート

めありーすちゅあーと

メアリー・ステュアート(Mary Stuart 1542 - 1587)。1542年~1567年まで在位したスコットランド王国の女王。
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(Mary Stuart, 1542年12月8日 - 1587年2月8日(グレゴリオ暦2月18日))

概要

スコットランドジェームズ5世とフランス貴族ギーズ公家出身の王妃メアリー・オブ・ギーズの長女に生まれ、女王となる。

エリザベス一世のライバルで悲劇の王女。

仏宮廷で育ち、幼馴染のフランソワと結婚。義父のアンリ2世が馬上試合で死亡するとフランソワは15で王となる。しかし3年後病死しスコットランドにいる母も死亡する。

18で未亡人となりスコットランドに戻るメアリー。フランスと比べると田舎で、宗教改革で揺れる故郷に飽き飽きしていた頃にダーンリー卿に出会う。彼とスピード婚をするがダーンリー卿は見栄っ張りであり、女王の妻では我慢できず国王の座を欲しがる様になる。夫に辟易したメアリーは冷たい態度を夫に取る。メアリーは有能なリッツィオを秘書官に任命し傍に置くように。キレた夫はある日晩餐会でリッツィオをメッタ刺しにしてしまう。3ヶ月後メアリーは流産の危機を乗り越えジェームズ(後のジェームズ6世)を出産するが子は引き離され貴族に育てられる。

ダーンリー卿が天然痘で治療中、療養先での爆破事故で死ぬと、今度はボスウェル伯がメアリーを監禁し既成事実を作る。国中から非難され反ボスウェルのプロテスタント貴族に城へ幽閉されるメアリー。ボスウェルの子は流産してしまう(双子だった。疲れきったメアリーは1歳の我が子へ譲位するサインに署名。

1567年に夫のダーンリーを暗殺した嫌疑で国を追われ、逃亡先のイングランドでエリザベス暗殺未遂の嫌疑をかけられ1587年に刑死。


息子のジェームズ1世がスコットランドを統治、エリザベス女王が亡くなったあとはなんとイングランドアイルランドの統治権も得た。

これをスチュアート朝と言いその後も女系を繋ぎ今に至る


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メアリ・スチュアート(ほとんどのタグが「境ホラ」のメアリを指す)

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