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生年没年 1961年7月1日1997年8月31日


概要編集

フルネームダイアナ・スペンサー。王室在籍時はウェールズ公爵ダイアナ・フランセスと名乗った。

イギリス女王エリザベス2世の息子、ウェールズ公チャールズ(現チャールズ3世)の最初の妃。

その美しい容姿と人柄から、イギリス国内外で絶大な人気を誇った人物である。


イギリス貴族の中でも名家であるスペンサー伯爵家の出身で、夫のチャールズとは王室主催の競馬大会で出会った。ただし、この時チャールズはダイアナのの恋人であり、特に恋仲になるという事は無かった。しかし、その後チャールズが姉にふられると、パーティーを通じて親交を深め、20歳の時に結婚した。


結婚後、ダイアナは夫婦が入居予定の宮殿の改修が終わるまでという期限付きで、のエリザベス女王を含めたチャールズとの同居生活をスタートさせた。しかし、女王の生活パターンに自らの生活を合わせなくてはいけない苦痛、女癖の悪いチャールズ、チャールズとの婚約時から付きまとうマスコミなどの世間の目といったものが重なり、ヒステリックに近い状態となってしまい、嘔吐したり激昂する事もしばしばあったという。このようなストレスの塊とも言える生活からいち早く開放されたかったのか、ダイアナは宮殿の改修工事を早急に終わらせるよう促した。


そして改修工事完了後、本来の住居となる予定だった宮殿に夫婦は引っ越した。だが、公務で夫が夜しかいない寂しさや、ロイヤルファミリー故に制限の多い自身の生活にまたしてもストレスがたまり、わがままな言動が増えるようになった。


しかし、そんな彼女にも息子ができる事でようやく平穏が訪れた。結婚から約1年経った1982年に長男・ウィリアムが誕生すると、チャールズは公務を減らし家族と共に過ごす時間が多くなり、更に1年後の1984年に次男・ヘンリーが生まれると更に家族にベッタリとなった。だが、そんな状態にチャールズの父であるエディンバラ公フィリップが不満を漏らすようになり、生まれたばかりの孫の顔を5ヶ月もわざと見ないなどの嫌がらせまで行うようになった。これにダイアナは激怒したが、チャールズはこの問題には関わろうとせず、それどころか父親と妻との板挟みに耐えかねて王室の持つ農場に引きこもって領主の仕事に専念しだす始末であった。このような事で夫婦間の関係は冷えきり、別居や夫妻両方の不倫などもあり、結婚から15年で離婚に至った。ただし、王室に残った2人の息子達との関係は亡くなるまで切れることは無かった。


離婚後は、王室時代から行っていた地雷除去、エイズハンセン病患者の救済や支援といった慈善活動に更に力を入れるようになった。また、私生活ではパキスタン人医師エジプト人映画プロデューサーとの二股疑惑などが浮上したのだが、離婚問題で人気が低迷した王室とは違い、ダイアナの人気は常に高いままだった。


しかし、離婚の翌年である1997年、フランスパリで乗っていた車がトンネルの柱に衝突する事故に遭遇しこの世を去った。事故原因は、パパラッチの執拗な追跡を振り切るため、運転手が無理な運転を行った事だとされている。ただ、事故の検証を進める内に不可解な点がいくつか判明しており、ダイアナの再婚で王室と中東系一族の間に縁戚関係ができる事を嫌った何者かの暗殺では無いかという声が後を絶たない。


関連作品編集


関連項目編集

イギリス 王室 チャールズ皇太子 エリザベス女王

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