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夢路いとし喜味こいしの編集履歴

2018-02-14 20:20:40 バージョン

夢路いとし喜味こいし

ゆめじいとしきみこいし

夢路いとし・喜味こいしはかつて関西中心に活躍した上方漫才の重鎮で多くのファンに親しまれた兄弟漫才師コンビである。

概要

夢路いとし(1925年~2003年)・喜味こいし(1927年~2011年)はかつて関西を中心に活躍した上方漫才の重鎮で、多くのファンに親しまれた兄弟漫才師コンビである。本名はいとしが「篠原博信」、こいしが「篠原勲」。

二人はあまり似ておらずひょうひょうとした兄、ガラガラ声の弟が絶妙な話芸で多くのファンを獲得した。


軍需工場に徴用された関係で兄弟は太平洋戦争中活動を休止。

弟の喜味こいしは1945年8月6日に、広島で被爆した。陸軍兵舎で朝食中にピカドンがさく裂、兵舎が上から下へ押しつぶされたが、広島城の影であったこと等さいわいして奇跡的に怪我無く生き延びた。


戦後は漫才だけでなくコマーシャル藤山寛美の舞台など幅広く活躍した。2003年に夢路いとしが死去、2011年に喜味こいしが死去。


人物

  • 夢路いとし(1925年~2003年) 兄。立ち位置は舞台(高座)の上手(向かって右側)ボケ担当。

若いころから病弱だったという。

  • 喜味こいし(1927年~2011年) 弟。立ち位置は舞台(高座)の下手(向かって左側)ツッコミ担当。(最初は担当が逆だったがあまりに兄のツッコミが頼りないので転向した。)

 青年航空兵のポスターにあこがれ零戦のパイロットになりたかったが徴兵検査で偏平足を指摘され「足が疲れると戦闘機が落ちる」という理由から 歩兵にまわされた。(後年「足が疲れるのになんで歩かされる歩兵なんじゃ」とネタにしていた。)

 結果 広島で被爆、着の身着のままで大阪に帰るが 家族はこいしが死んだと思って位牌を作っていたという。

持ちネタ

  • ジンギスカン
  • 我が家の湾岸戦争

出演作品

映画

テレビ ドラマ番組

  • 古畑任三郎

テレビバラエティー番組

コマーシャル

  • かっぱえびせん

舞台・芝居

受賞歴

関連項目

芸人 お笑い芸人 コンビ 漫才 漫才師 吉本興業

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