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在原業平の編集履歴

2011-04-28 22:22:50 バージョン

在原業平

平安時代初期の貴族・歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。

また『伊勢物語』の主人公とみなされている。


経歴

天長2年(825年)生まれ。父は平城天皇の第一皇子・阿保親王、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王。

血筋からすれば天皇家の嫡流ともいえるが、薬子の変により皇統が嵯峨天皇の子孫へ移っていたこともあり、天長3年(826年)臣籍降下して兄・行平らとともに在原氏を名乗る。


仁明天皇の蔵人となり、嘉祥2年(849年)従五位下に叙爵されるが、文徳天皇の代になると全く昇進が止まり不遇な時期を過ごした。

清和天皇のもとで再び昇進し、貞観4年(862年)従五位上に叙せられたのち、左兵衛権佐・左近衛権少将・右近衛権中将と武官を歴任、貞観15年(873年)には従四位下に昇叙される。

陽成朝でも順調に昇進し、元慶元年(877年)従四位上、元慶3年(879年)には蔵人頭に叙任された。また、文徳天皇の皇子・惟喬親王に仕え、和歌を奉りなどしている。

元慶4年(880年)5月28日卒去。享年56。

最終官位は蔵人頭従四位上行右近衛権中将兼美濃権守。


人物

業平は『日本三代実録』に「体貌閑麗、放縦不拘」と記され、美男子の代名詞のようにいわれる。

早くから『伊勢物語』の主人公の、いわゆる「昔男」と同一視されている。

ちなみに『伊勢物語』では、清和天皇女御でのち皇太后となった二条后(藤原高子)や、惟喬親王の妹である伊勢斎宮恬子内親王などとの禁忌の恋が語られている。


歌人としては『古今和歌集』の30首を始め、勅撰和歌集に87首が入集している。

子の棟梁・滋春、棟梁の子・元方はみな歌人として知られる。

鷹狩に執着した桓武天皇の子孫だけあり、兄・行平ともども鷹狩の名手であったと伝えられる。

一方で、学才はほとんど無かったともされる。


紀有常女(惟喬親王の従姉にあたる)を妻とし、紀氏と交流があった。



代表作

 千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは)

   からくれなゐに 水くくるとは


       (在原業平朝臣(17番) 『古今集』秋・294)


関連タグ

平安時代 和歌 百人一首 うた恋い。

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