イザーク・フェルナンド・フォン・ケンプファー
ぱんつぁーまぎえる
概要
”薔薇十字騎士団”の最高幹部で位階は9=2。長い黒髪、死魚の様に濁った黒瞳、怜悧な容貌が特徴。美形悪役。
生体工学を駆使した人造精霊・人造矮人といったオーバーテクノロジーを魔法のように使うことから”機械仕掛けの魔道士(パンツァー・マギエル)”あるいは”魔術師”と呼ばれている。
本作中最年長であるという発言をしたある意味謎の多い男。
「バトラー、ケンプファー、カリオストロ、サン・ジェルマン、パラケルスス、シュー・フー……これまで、私はいくつもの名で呼ばれてきましたが、いつも夢を見ていました」
(『トリニティ・ブラッド Reborn on the Mars Ⅴ 薔薇の玉座』角川スニーカー文庫、2003年、330ページ)
名前の元ネタは『銀河英雄伝説』のイザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンかと思われる。まあ『薔薇の玉座』で「有翼獅子」で「グリフォン」とルビふるあたり(『薔薇の玉座』、168ページ)、吉田直先生は銀英伝好きだったんじゃないかと思う。
「イザーク(Isaak)」は「イサク」のドイツ語形だが、「フェルナンド(Fernand)」はドイツ語の「フェルディナント(Ferdinand)」ではなく、フランス語やイタリア語の形に近いものになっている。「フォン(von)」は例によってドイツの貴族の苗字につく前置詞。「ケンプファー(Kämpfer)」はドイツ語男性名詞「戦士」「闘士」。
引用
登場するたびダージリン様のように色々な引用を喋る。
「From the empire」より
- 「“もっとも洗練された仮面は素顔である”――ティレ」(『トリニティ・ブラッド Rage Against The Moons フロム・ジ・エンパイア』角川スニーカー文庫、2001年、139ページ)
ティレは『神学大全』によると『そばかす』が代表作のドイツの作家らしいが不明。誰か知ってる人がいたら出典お願いします。
- 「“ラグーナの下に眠れ、ヴェネツィアよ。夜を流るるはわだつみの闇。永遠の死を謳うはただ砕ける波”――モーリス・バレス」(『フロム・ジ・エンパイア』177ページ)
モーリス・バレスは国粋主義的な発言で知られるフランスの作家、政治家。元ネタは小説『ヴェネツィアの死(Amori et Dolori sacrum. La mort de Venise)』の一節。
Couche-toi, Venise, sous ta lagune. La plainte chante encore, mais la belle bouche est morte. L'océan roule dans la nuit. Et ses vagues en déferlant orchestrent l'éternel motif de la mort par excès d'amour de la vie.
(横たわれ、ヴェネツィアよ、お前のラグーナ〔潟〕の下に。嘆く声がまだ歌っている、だがその美しい唇は死んでいる。海は夜の中に逆巻く。砕ける波が、溢れる生への愛で、死の永遠の主題を曲にする)
ガリマール社・同朋社出版編『望遠郷5・ヴェネツィア』(同朋社出版、1994年)に名前が挙がっているが、日本語の翻訳があるのかどうか知らないのでこれまたフランス文学に詳しい方いたら追記お願いします。
- 「“死の恐怖は死そのものより厭わし”――シラー」(『フロム・ジ・エンパイア』212ページ)
„Sterben ist etwas mehr als Harlekinssprung, und Todesangst ist ärger als Sterben“
(死ぬってことは、ピエロが筋斗を切るのといくらも違わん、だが、死の恐怖という奴は、死ぬことよりも恐ろしいぞ)
フリードリヒ・シラーの戯曲『群盗(Die Räuber)』第二幕第三場から。岩波文庫で読める。
- 「“この優しき夜、星の精に囲まれて、いざ玉座の月の女王顕れなん。されど、ここには光なく”――キーツ」(『フロム・ジ・エンパイア』224ページ)
キーツの詩「夜鳴鶯の賦(Ode to nightingale)」から。
Already with thee! tender is the night,
And haply the Queen-Moon is on her throne,
Cluster'd around by all her starry Fays;
But here there is no light,
Save what from heaven is with the breezes blown
Through verdurous glooms and winding mossy ways.
(ああ、やっと今、私はお前と一緒になれた! この夜の
何と優しいことか! おそらくは妖精のような星の群れに
かしずかれ、月も女王然として夜空に君臨しているよう。
だが、ここには、ほの暗い木々の間を抜け、曲折した
苔むす小道をかすめて吹いてきたそよ風と、夜空から
漏れてきたかすかな月影が、睦び合っているのみだ)
(訳文は平井正穂編『イギリス名詩選』岩波文庫、1990年、221ページ)
「Silent noise」より
- 「“情熱を抱いた女は青銅のように強くなる”――バルザック」(『トリニティ・ブラッド Rage Against The Moons Ⅱ サイレント・ノイズ』角川スニーカー文庫、2001年、81ページ)
筆記者は本当フランス文学には詳しくないのでこれまたどなたか詳しい方いたら出典お願いします。
- 「“美しきもの見し人は、はや死の手にぞとらわれつ”――プラーテン」(『サイレント・ノイズ』、107ページ)
ドイツの詩人アウグスト・フォン・プラーテンの詩「トリスタン(Tristan)」から。
Wer die Schönheit angeschaut mit Augen,
Ist dem Tode schon anheimgegeben,
Wird für keinen Dienst auf Erden taugen,
Und doch wird er vor dem Tode beben,
Wer die Schönheit angeschaut mit Augen!
(美〔うる〕はしきもの見し人は、
はや死の手にぞわたされつ、
世のいそしみにかなはねば、
されど死を見てふるふべし
美〔うる〕はしきもの見し人は)
(生田春月訳)
「Overcount」より
- 「“人生の半分は仕事であるが、残りの半分も仕事である”――ケストナー」(『サイレント・ノイズ』、132ページ)
ドイツの作家エーリヒ・ケストナーの詩„Bürger, schont eure Anlagen“から。
Arbeit ist das halbe Leben,
und die andre Hälfte auch.
(仕事は人生の半分だが、
その半分もまたそう〔仕事〕なのだ)
最後のルビが「オイヒ」とか書いてあるからeuchかと思った。
- 「“生まれ出ようとするものは一つの世界を壊さねばならぬ”――ヘッセ」(『サイレント・ノイズ』、180ページ)
ヘルマン・ヘッセの『ダミアン(Demian. Die Geschichte einer Jugend)』から。『少女革命ウテナ』でも敵が喋っていた。
Wer geboren werden will, muss eine Welt zerstören.
小説だと「ヴェア・ゲボーレン・ヴェルデン・ヴィルマス・アイネ・ヴェルト・ツェルシュターレン」とルビがふってあるが、無理やりカタカナにすると「ヴェア・ゲボーレン・ヴィル、ムス・アイネ・ヴェルト・ツェアシュテーレン」の方が近い。
- 「“絶望している悪魔以上にみっともないものは、この世にない”――ゲーテ」(『サイレント・ノイズ』、213ページ)
『ファウスト(Faust)』第17章のメフィストフェレスの台詞。
Nichts Abgeschmackters find ich auf der Welt
Als einen Teufel, der verzweifelt.
(何が没趣味だと言って、絶望している悪魔ほど
没趣味なものはまずありますまいからねえ)
(Johann Wolfgang von Goethe: Faust: Eine Tragödie - Kapitel 17 3372-3373)
(ゲーテ『ファウスト 一』高橋義孝訳、新潮文庫、1967年、227ページ)
小説だと「ニヒツ・アプゲシュマックタース・フィン・イッヒ・アウフ・デア・ヴェルアルス・アイネン・トイフェル・デア・フェアツヴァイフェル」とルビがふってあるが、無理やりカタカナにすると「ニヒツ・アプゲシュマックタース・フィント・イッヒ・アウフ・デァ・ヴェルト、アルス・アイネン・トイフェル、デア・フェアツヴァイフェルト」が近い気がする。
「Know faith」より
「いつも勝者が敗者の歴史を書き、生き残った者が死者たちの歴史を書くのである――レッシング」(『トリニティ・ブラッド Rage Against The Moons Ⅲ ノウ・フェイス』角川スニーカー文庫、2002年、223ページ)
ドイツの哲学者でジャーナリスト、テオドール・レッシングの著作„Geschichte als Sinngebung des Sinnlosen“から。
Immer schreiben Sieger die Geschichte von Besiegten, Lebengebliebene die von Toten.
(常に勝者が敗者の歴史を書き、生き残った者たちは死者たちのそれ〔歴史〕を〔書く〕)
ルビの最後は「トイデン」になっているが「トーテン」である。
「Lady guilty」より
- 「“あってはならぬことは、ありえぬこと”――モルゲンシュテルン」(『トリニティ・ブラッド Rage Against The Moons Ⅳ ジャッジメント・デイ』角川スニーカー文庫、2003年、56ページ)
ドイツの詩人クリスティアン・モルゲンシュテルンの詩「ありえぬこと(Die unmögliche Tatsache)」から。
Weil, so schließt er messerscharf,
nicht sein kann, was nicht sein darf.
(なんとなれば――とあざあかに断を下す――
あってならぬはありえぬだから)
(訳文は生野幸吉・檜山哲彦編『ドイツ名詩選』岩波文庫、1993年、195ページ)
「Radio head」より
- 「『死とは、厳密には人生の最終目標である』――モーツァルト」(『トリニティ・ブラッド Rage Against The Moons Ⅴ バード・ケージ』角川スニーカー文庫、2004年、239ページ)
元ネタはモーツァルトの1787年4月4日付の手紙。
Da der Tod (genau zu nehmen) der wahre Endzweck unseres Lebens ist, so habe ich mich seit ein paar Jahren mit diesem wahren, besten Freunde des Menschen so bekannt gemacht, daß sein Bild nicht allein nichts Schreckendes mehr für mich hat, sondern sehr viel Beruhigendes und Tröstendes!
(Wien 4. April 1787.)
岩波文庫と講談社学術文庫で訳されている。「死は、厳密な意味で、我々にとっての人生の最終目標ですから」みたいに訳されていた。
「Public enemy」より
- 「待つとは先に立って急ぐこと――トーマス・マン」(『トリニティ・ブラッド Rage Against The Moons Ⅵ アポカリプス・ナウ』角川スニーカー文庫、2005年、58ページ)
元ネタはトーマス・マン『魔の山(Der Zauberberg)』の一節。
Warten heißt: Voraneilen, heißt:
ルビは「ヴァルテン・ハイスト、フォラナイレン・ハイスト」となっているがどっちかというと「ヴァルテン・ハイスト、フォランアイレン、ハイスト」かと思われる。
「薔薇の玉座」より
- 「なにしろ、“かつていまし、今いまし、先にただ一人ましますその方”――ですからね」(『薔薇の玉座』、49ページ)
ヨハネの黙示録の最初の方にある一節。
χάρις ὑμῖν καὶ εἰρήνη ἀπὸ ὁ ὢν καὶ ὁ ἦν καὶ ὁ ἐρχόμενος, καὶ ἀπὸ τῶν ἑπτὰ πνευμάτων ἃ ἐνώπιον τοῦ θρόνου αὐτοῦ, καὶ ἀπὸ ἰησοῦ χριστοῦ, ὁ μάρτυς ὁ πιστός, ὁ πρωτότοκος τῶν νεκρῶν καὶ ὁ ἄρχων τῶν βασιλέων τῆς γῆς.
(現在居まし、かつても居まし、またこれから来る方から、また、その方の玉座の前に〔侍って〕いる七つの霊から、恵みと平安とがあなた方にあるように。さらに、イエス・キリストからも。イエス・キリストは、信頼に足る証人であり、死人たちの中から最初に〔命へと〕生まれた者、また地上のもろもろの王の支配者である)
(Ἀποκάλυψις Ἰωάννου, 1:4-5)
(日本語訳は新約聖書翻訳委員会訳『新約聖書Ⅴ パウロの名による書簡 公道書簡 ヨハネの黙示録』岩波書店、1996年、187ページ)
ἐγώ εἰμι τὸ ἄλφα καὶ τὸ ὦ, λέγει κύριος ὁ θεός, ὁ ὢν καὶ ὁ ἦν καὶ ὁ ἐρχόμενος, ὁ παντοκράτωρ.
(全能者にして神なる主、現在居まし、かつても居まし、またこれから来る者が、こう言われる、「私はアルファであり、オメガである」)
(Ἀποκάλυψις Ἰωάννου, 1:8)
(日本語訳は同『新約聖書Ⅴ』、188ページ)
καὶ ἀνάπαυσιν οὐκ ἔχουσιν ἡμέρας καὶ νυκτὸς λέγοντες, ἅγιος ἅγιος ἅγιος κύριος ὁ θεὸς ὁ παντοκράτωρ, ὁ ἦν καὶ ὁ ὢν καὶ ὁ ἐρχόμενος.
(それらは昼も夜も休むことなく、こう言い続けている、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主、万能者なる神、かつて居まし、現在居まし、またこれから来られる者」)
(Ἀποκάλυψις Ἰωάννου, 4:8)
(日本語訳は同『新約聖書Ⅴ』、204ページ)
(新約聖書のギリシア語原文は、岩波の聖書が使ってるNestle-Aland版を使用。東方正教会版だと「今いまし、かつていまし~」の後にはっきり「神(Θεός)」という単語が続いている)
歴史をその初めから終わりまで貫いて存在する神を表す言い方。セム語的表現。元ネタは出エジプト記第三章第14節と思われる(前掲書『新約聖書Ⅴ』188ページの注釈、およびフランシスコ会聖書研究所訳注『新約聖書』中央出版社、1979年、改訂版1984年、909ページの注釈を参照)。
新約聖書の著者たちが参考にしたと思しき、ギリシア語で書かれた七十人訳聖書の出エジプト記のくだりはこうなっている。
καὶ εἶπεν ὁ Θεὸς πρὸς Μωυσῆν λέγων· ἐγώ εἰμι ὁ ὤν.
(神はモーセに向かって、「私はホ・オーンである」と言った)
(日本語訳は秦剛平訳『七十人訳ギリシア語聖書 Ⅱ 出エジプト記』河出書房新社、2003年、22ページ)
(ΕΞΟΔΟΣ, 3:14)
「ホ・オーン(ὁ ὤν)」は「かつて居まし、現在居まし、またこれから来られる者(ὁ ἦν καὶ ὁ ὢν καὶ ὁ ἐρχόμενος)」の「現在居ます(ὁ ὢν)」に相当。ヘブライ語原文だと「私はある(אֶֽהְיֶ֑ה)」。古典ギリシア語「オーン(ὢν)」は英語のbeやドイツ語seinにあたる「エイミ(εἰμί)」の現在分詞主格。そこに定冠詞で男性名詞単数の「ホ(ὁ)」がつけられている(前掲書『七十人訳ギリシア語聖書Ⅱ』23ページの注釈を参照)。