概要
古典的な学説では、戦国から江戸時代にかけて、幕府が国政を管掌するにあたって、武士と農民の身分を明確に区別するために行われた分離政策である。
実は日本において、武士の元々は下級貴族で、戦が無ければ家の田畑(荘園)で野良仕事もしていた。
中世では地侍(土豪)、野伏、農民もみな武装しており、戦国時代末期まで武士と農民は、明確な区別がされていなかった。
この政策により、公僕・官僚たる武士と、食糧生産を担う農民が明確化され、家臣の多くが農業を専門として農機具を手にし、作業に従事していくようになった。
兵農分離の思想自体は、前段階として豊臣政権時代の「刀狩令」の発令などで表面化している。
こうした政策は、農民を農業に専念させると同時に、万一に一揆や強訴の際に武装化される危険性をなるべく排除するという側面もある。