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レオーネ(スバル)の編集履歴

2019-01-17 18:02:56 バージョン

レオーネ(スバル)

すばるれおーね

富士重工(スバルブランド、現・SUBARU)の(過去の)自動車ラインナップのひとつ。

概要

1971年10月から1994年3月まで(ただし実質1992年10月まで)、3世代にわたって製造・販売が行われた。


もともとは当時発売していたスバルff-1との兼ね合いから、クーペ(実質的にはサッシュレスドアのピラードハードトップ)モデルしか発売されなかったが、1972年4月にff-1からのモデルチェンジというカタチでセダンとライトバンが追加された。その後1973年6月にはハードトップが追加された……クーペがあるのに何被る車種追加してるんだ?


だが何と言ってもこの車、世界初の(量産)四輪駆動乗用車が追加されたことでエポックメーキングな車種である。「豪雪地帯の深い積雪路を走れる乗用車を」という東北電力からの依頼を受けて開発され、1972年8月にライトバンに追加されたのがそれ。さらに1975年4月には4ドアセダンにも追加されている。


とにかくモデルの寿命が長く、初代と3代目は8年も持たせてしまった。2代目(メインイラストも参照)は5年とやや短いものの、4年でフルモデルチェンジは当然とみられていた1980年代当時の日本車にしてはやや長寿であった。ただしスバルでは短い方である(当時のスバルのモデルチェンジサイクルは2ケタが普通)。

また、下手に四輪駆動車(四駆)の評判が良かった上、よそのメーカーも前輪駆動(FF)車を続々と売り出すようになった事もあり、2代目と3代目は「あれ? FFあったの? てっきり四駆だけかと思った」と勘違いされることも少なくなかったという。おいおい、日本におけるFFの元祖はスバルだろ?「ちげーよ、ホンダだよ」よくこういう会話がなされているが、当時としては変態そのもののシステム、採用するなんざ某鈴菌しかいない(1955年発売 スズキ スズライト)。


2代目のラインナップはセダンとハードトップ、ライトバンのほかに「スウィングバック」と呼ばれた3ドアハッチバック、さらにはステーションワゴン、3代目はセダンとライトバンおよびステーションワゴンに加えて3ドアクーペが設定されている。


レガシィとか言う、文字通り「後世に受け継がれてゆくもの」が現れたため、1989年以降は低グレード車をベースとしたお買い得仕様の「マイア」シリーズとライトバンのみとなった。なお、マイアは、プレアデス星団(別名昴。もちろん「スバル」の元ネタ)の中の星の名前のひとつだったりする。

その後1992年10月にインプレッサが現れたことで「マイア」シリーズが廃止される。そして1994年3月、ライトバンの生産・販売を打ち切ったことで、23年の歴史に事実上幕を下ろした。

  • 実はインプレッサは“4代目レオーネ”という前情報があったが実現しなかった。本当にスバルは商標を大切にしない会社である……対象的なのが修ちゃんのとこ

なお、名称そのものは日産ADの富士重工バージョンとして2001年まで使用された。

逆に3代目のライトバンに関しては、いすゞディーラー(いすゞモーター店およびそれがない地域のいすゞ店)でも「ジェミネット2」の名前で売られていたことがある。

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