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京極高次の編集履歴

2019-03-10 22:10:12 バージョン

京極高次

きょうごくたかつぐ

戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将。

概要

永禄6年(1563年)誕、慶長14年(1609年)没。近江大津藩主、後に若狭藩主。

京極家は佐々木道誉に連なる名門と知られ、室町幕府では山名家・赤松家・細川家とともに「管領」職に就くことができる「四職」家のひとつであった。

しかし、戦後時代末期にはに京極氏も没落、父・京極高吉の時代には譜代家臣の浅井氏にとって代わられ、領地のほとんどを失っている。

母は京極マリア、弟に京極高知、妹に京極竜子(松の丸殿)他。

妻は浅井三姉妹の一人で従妹でもある

初との間に実子は出来なかったが、妹の徳川秀忠の四女・初姫や高次の妹の娘・古奈などを養女とした。


蛍大名

妹の京極竜子(松の丸殿)は豊臣秀吉の側室として茶々(淀殿)に次ぐ寵愛を受けたとされる美人であり、妻は戦国の美人三姉妹と周りが有名人である。出世したのはそのおかげとみなされたため蛍大名と揶揄される。

慶長5年(1600年)、西軍・石田三成と東軍・徳川家康が対立する関ヶ原の戦いでは当初、西軍方についていたが、井伊直政を通じてひそかに内通し近江・大津城に籠城、西軍・立花宗茂率いる1万5千(一説には4万)の軍勢を9月15日の合戦当日まで釘づけにし、関ヶ原に向かわせかったことにより東軍勝利に貢献、その功績から若狭8万5千石を与えられ、翌年には9千石を加増、京極家は後に丸亀に減転封されるが、幕末まで当地を治めつづけた。


関連タグ

戦国時代 江戸時代 京極高吉 京極マリア 京極高知 

佐々木道誉:先祖。バサラ大名と恐れられた。

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