概要
開発
旧大日本帝国海軍の単発複座式艦上爆撃機。日本の航空機としては数少ない液冷エンジン『アツタ』を搭載していた。このエンジンは陸軍の飛燕に搭載されたハ40と同じく、ドイツのダイムラー・ベンツDB601をライセンス生産した物である。
海軍自らが次世代の艦上爆撃機を研究するための機体として開発し(性能がよければ実戦機として量産する事をこの時から考えていたようである)、零式艦上戦闘機並みの小柄な機体に爆弾を胴体内に格納する爆弾槽、電動式の操作機構など当時の最新技術を多数盛り込んでいた。
昭和15年11月に完成した試作機は零戦をもしのぐスピードを発揮し、更に航続距離も要求値を超え操縦性なども良好だったため、まず二式艦上偵察機として採用した(当初は艦爆としては機体強度が不足していて改良が必要だったが通常飛行には問題なかったため。また海軍も高速偵察機の必要性を感じており、偵察機としての制式採用に先んじて試作機が偵察機に改造されており、ミッドウェー海戦時に空母蒼龍に配備されていた)後、機体強度の改善の後九九式艦上爆撃機の後継として艦上爆撃機「彗星」の名で採用される事になった。
実戦にあたって
しかし、前述したようにこれは元々研究用の航空機であり、量産・実用性は全く考慮されていなかった。詳細は飛燕の項目に譲るが、例えば搭載したアツタ(DB601)の部品に必要な精度は当時の日本の工業水準の手に余り、クランクシャフトの製造では強度を持たせるための処理時間が長引いて隘路となるなど、エンジンと機体の両方の製造を担当した愛知航空機でも手を焼いていた。これを無視して量産してしまった結果、『アツタ』エンジンの不調や、電気系統の不作動、整備性の悪さなどが次々と露呈。遂には「複雑・繊細ニシテ実用機ニ非ズ」の烙印まで押されてしまった。
しかし本機にすぐ代われる機体などなく、海軍は流星改実用化までのつなぎとして量産を続けるしかなかった。
とはいえ、比較的早くから二式艦偵を運用していた第三艦隊や沖縄戦での活躍で知られる芙蓉部隊では、豊富な予備部品と『アツタ』エンジンに熟知した整備兵を工場へ送って育成する事で、終戦まで高い稼働率を維持したまま奮戦している。
エンジンの換装と末期の彗星
1943年末から、生産が伸び悩んだ『アツタ』エンジンに見切りを付け空冷で馬力もそこそこある『金星』エンジンに換装した三三型が生産された。
こちらは『アツタ』エンジンを搭載したそれ以前の型とは違い、空母ではなく陸上基地での運用が主となった。
末期には日本海軍機の例に漏れず特攻にも使用され、彗星は特攻を主眼に置いた型として、三三型をベースに本来の搭載量を超える800kg爆弾1発を装備できるよう改造し(その影響で爆弾槽の扉が撤去された)、緊急時の増速用にロケットエンジンを搭載可能にした四三型が開発された。
余談
ちなみに生産数は2157機と、海軍機では零戦や一式陸上攻撃機に次いで3位。
また一部は斜め銃を装備し、『戊型(ぼがた)』という号を冠した夜間戦闘機に改造された。
他にも高高度性能の向上の為に一二型にターボチャージャーを搭載した試作機も存在したようだ。
ゲーム『艦隊これくしょん』でも艦載機として使用可能。通常の彗星の他にも偵察機型の二式艦上偵察機や、ゲーム中の艦爆で最高クラスの性能を持つ派生型・一二型甲や六〇一航空隊、六三四航空隊に所属する機体も登場し、さらにif装備として現状艦爆最強の攻撃力を誇る江草隊仕様が存在する。