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きそぼのの編集履歴2019/10/06 17:09:57 版
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概要

駆逐艦娘である軽巡洋艦娘木曾のカップリングタグで、どちらも1944年11月のマニラ湾空襲の際に大破着底しながらも終戦を迎え、その11年後にそろって浮揚し解体されたことで、このタグが生まれた。

原作においては、曙も木曾もやや口が悪く気が強いイメージがある点が共通している。

史実の両者

史実の木曾は1921年に三菱重工長崎造船所で、曙(2代目。吹雪型)は1931年に藤永田造船所で竣工した。

アジア太平洋戦争の激戦を辛くも生き延びた2隻はマニラに取り残されたが、建国したばかりのフィリピン共和国政府がまだ財政難だったためサルベージの資金が足りず、1955年に播磨造船所(終戦までの呉海軍工廠。現在はジャパンマリンユナイテッド呉事業所)の技師たちが来比するまで放置されていた。2隻は彼等の手でサルベージを受けたのち、翌年1月以降に、木曾→曙の順で解体。

木曾は旧海軍の軽巡洋艦の中では異例ともいえる約34年の長寿を全うしたが、これで旧海軍のいわゆる「軍艦」はすべて地上から消えている(「軍艦」では、より長寿を誇った艦に明治生まれの出雲型重巡洋艦などの例があるが、これらは1946~48年に解体されている)。

曙も(ソ連海軍に引き渡されたを別にすると)吹雪型駆逐艦の中では一番最後に世を去った。ほぼ同時期には海上自衛隊の沿岸護衛艦「あけぼの」(3代目)が竣工就役している。

播磨造船所はやがて石川島播磨重工(現IHI)となり、汎用護衛艦「あけぼの」(4代目。新むらさめ型)の竣工を最後に、造船事業をJMUに譲渡した。3代目・4代目の「あけぼの」が生を受けた東京工場はこのとき閉鎖され、横浜市磯子区に移転したが、この移転先こそ、平成の空母加賀を生み出したJMU横浜事業所磯子工場である。

また藤永田造船所は1967年に三井造船に合併されている。

ところで木曾の艦名は1代で絶え、その名を継いだ海自艦は現在も登場していないが、一方で2008年に就役した海上保安庁の「ひだ」型巡視船の3番船が「きそ」と名付けられた。「きそ」は前述のJMU横浜磯子で建造されたため、旧海軍の木曾とも間接的にかかわりがあることになる。

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