石播東京組
あいえいちあいとうきょうぐみ
艦隊これくしょんの実装艦で、海上自衛隊の現役の護衛艦に名前が受け継がれている面々のうち、石川島播磨重工業(現・IHI、ただし造船事業はジャパンマリンユナイテッドが継承)の江東区豊洲にかつて存在していた工場(1979年以前の「東京第二工場」であり、同年以降の「東京第一工場」。跡地は現在のアーバンドックららぽーと豊洲)で建造された護衛艦と同じ名前を持つ艦娘のイラストについて、当該タグがつけられる。単独絵、集合絵は問わない。
2020年2月現在、石播東京組に該当する艦娘は以下の5人。
以上は実艦の竣工順。「あまぎり」は「あさぎり」型4番艦で、「ちょうかい」は「こんごう」型4番艦、「むらさめ」「さみだれ」「あけぼの」は「むらさめ(新)」型1・6・8番艦。当代で「むらさめ」「あけぼの」は日本海軍時代からの通算で4代目、「ちょうかい」は3代目、「「あまぎり」さみだれ」は2代目。「ちょうかい」は、現時点で三菱重工長崎造船所以外で建造された唯一の現役イージス艦でもある(未就役艦も含めれば石播東京の造船事業を継承したJMU横浜事業所磯子工場で進水した「まや」「はぐろ」も存在する)。
上記のほか、艦これ未実装ではあるが、日本海軍に同名の艦が存在した海自護衛艦で石播東京が建造した現役の艦として、他に「あさぎり」型護衛艦の「あさぎり」(←吹雪型駆逐艦「朝霧」)があるが、こちらは「あまぎり」より先輩になる。
過去に存在した海自艦では3代目「ゆうだち」、2代目「もちづき」、3代目「ひえい」、2代目(解釈によっては3代目)「くらま」(海自最後の蒸気タービン機関による護衛艦)などがその石播東京で建造されている。
石川島播磨重工東京工場は東京石川島造船所深川第一工場として戦前の1939年に操業を開始し、戦中は駆潜艇や特務艇などの建造を行っていた。戦後は一時期GHQによる賠償工場や米国船舶管理局による米船舶修理工場として使われていたものの、1948年頃から民間船の建造が再開されるようになった。そして1955年、ここで最初に建造された海自艦が進水を迎えた。沿岸護衛艦の3代目「あけぼの」である。3代目「あけぼの」は旧日本海軍消滅後に建造された久々の国産艦の1隻でもあり、海上自衛隊の黎明期を支えた。
石播東京は老朽化のため横浜市磯子区への移転が決まり(現在のJMU横浜事業所磯子工場がこれにあたる)、前述の4代目「あけぼの」の竣工を最後に、2002年3月末をもって閉鎖されたが、まさに「あけぼの」に始まり「あけぼの」に終わった工場であると言えなくもない。
東京工場近隣にあった佃工場(こちらは1979年に閉鎖されている)は石川島播磨重工業の母体の一つ東京石川島造船所を引き継いだものであるが、ここでも1939年まで旧日本海軍の艦艇が建造されていた。その中には艦これに実装済みの艦も4隻ほど存在する。「卯月」と「長月」、「薄雲」、そして先に述べた「あまぎり」の先代に当たる「天霧」である。ある意味では彼女達は石播東京組の先輩格といえなくもないかもしれない。
(上記左のイラストで卯月の背後にあるのが石播東京第2ドック跡を活用した水上バス乗り場。なお、右の長月が立っている方は佃工場跡地である)
実はこの佃工場の前身・石川島造船所では、天霧の他にも「ちょうかい」の先祖にあたる摩耶型2番艦の砲艦「鳥海」(初代)も建造されている(1888年竣工~1911年除籍・払下げ)。その初代鳥海の模型が現在、佃工場跡地の石川島資料館に展示されているが、館内は撮影禁止なので要注意。
また、艦娘ではないものの、艦載機装備として実装されている橘花改の改修の際に必要なネ式エンジンについて、史実の橘花に搭載されていたネ-20エンジンもまた海軍航空技術廠と石川島重工業が共同で開発したものであり、現物の一つ(米ノースロップ大学が所有件を持っているが、国際航空宇宙ショー展示物として日本に持ち込まれた際に元開発チームの一人がごねて返却を拒んだ結果、現在はIHIが永久無償貸与という形で保有している)が東京都昭島市のIHIそらの未来館に展示されている。
なお、東京第一工場(深川第一工場)の方は第二号型海防艦や駆潜艇といった小型艦艇の建造くらいしか行っておらず現状では艦これと直接関係のある出身艦は実装されていない。しかしながら全く縁がないかというとそうでもなく、「宗谷」は海軍時代の最初(民間船から海軍に転籍し特務艦となった時)と最後(引揚船から海上保安庁に転籍し灯台補給船となった時)にここで改装工事を受けている。
他方、石播のもう一つの母体である播磨造船所(現在のIHI相生事業所およびJMUアムテック)にて建造された艦艇でも神州丸、あきつ丸および速吸が実装されているが、その後相生事業所は造船を行わなくなり、また造船事業を継承したJMUアムテックにおいても現在に至るまで護衛艦の建造はなされていない。
この播磨造船所の呉事業所(旧・呉海軍工廠/現・JMU呉事業所)では戦後、国内・外地問わず旧日本海軍の残存艦艇の解体も担っており、太平洋戦争の激戦を生き抜いた戦艦日向や軽巡木曾、駆逐艦秋霜も同社の手で解体された。当代あけぼのの先祖にあたる駆逐艦2代目曙もその1隻で、フィリピンが米国から独立したあとの1955年、曙終焉の地であるマニラ湾に播磨造船所の技師が来比し、半ば転覆状態で放置されていた同艦(と秋霜、木曾)のサルベージ、および解体作業にあたっている(解体は秋霜→木曾→曙の順)。これは日本の戦時賠償事業として行われたもので、独立したばかりの比政府にはこれらをサルベージする資金が足りなかったためであるとの話もあるという。
何はともあれ、2代目曙の解体をおこなった播磨造船所の流れをくむ石播が、のちに最後の東京艦となる当代あけぼのを手掛けることになる辺り、非常に興味深いものがある。
ひゅうが型・・・IHIの造船事業を引き継いだJMUの横浜事業所で建造されたヘリ母艦。「ひゅうが」「いせ」の2隻。JMU横浜事業所ではのちにいずも型(「いずも」「かが」の2隻)も手掛けている。
木曾(艦隊これくしょん)・・・播磨造船所により解体されたモチーフ元の軽巡は1921年の竣工で、旧日本海軍の軽巡の中でダントツの長寿を保った艦でもある。
鳥海(JR東日本)・・・2014年度まで存在した寝台特急「あけぼの」の前身。旧国鉄時代に運行されたディーゼル急行の初代と、JR東日本になったあとの1990年に現れた寝台特急の4代目がのちに「あけぼの」と改称している(この「あけぼの」号についてもそちらの記事で説明)。
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SS速報VIPに上げた物を補完する意味合いで投稿します。 本作でも特定箇所の解説を行いました。 一応は書き切ったかなぁという感じですが、今度は潜水艦や掃海艦辺りの話も書いてみたくはあったり。17,707文字pixiv小説作品