- 社会の為人の為に貢献したつもりだけで、実際のところ何の役にも誰の役にもなっていない。
- 正義と博愛に酔いしれ、とにかくみんなで群れて盛り上がって仲間意識共有したい。
ただそれだけで中身が伴わず、ただ良いことをした自分に満足しただけで終わってしまっていることへの軽蔑を意味する。
『その行為に意味があるの?』とか『やらない方がマシだった!』って感じの運動・イベントへの痛烈な皮肉でもある。
具体例
(↑国内の被災地ですら『同情するなら金をくれ(憤怒)』状態になっている。)
(↑異論はあるかもしれないけれどマラソンて何よ?)
- とりあえず『ウィ・アー・ザ・ワールド』をみんなで合唱
- 反戦平和運動
(↑主催者側ですら戦争と平和、秩序の相互関係・メカニズムを理解していない場合が多く、ほとんど要領を得ない平和への讃美歌という観念論だけで終始して形骸化が著しく、結局「意味わかんない」で終了してしまう。)
Wikipediaより引用
スラックティビズム(英: slacktivism)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。努力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。
この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。こうしたスラックティビスト(スラックティビズムにあたる行為をする人)たちの行為は、多くの場合、個人の努力や負担を必要としない。
関連タグ
意識高い系:同義語…でないことを祈りたい。
プロ市民:同上。