はじめに
スラックティビズムはどのような思想・運動でも起こりえる現象である。
概要
- 社会の為人の為に貢献したつもりだけで、実際のところ何の役にも誰の役にもなっていない。
- 自分たちの掲げるお題目に酔いしれ、とにかくみんなで群れて盛り上がって仲間意識を共有したい。
ただそれだけで中身が伴わず、ただ良いことをした自分に満足しただけで終わってしまっていることへの軽蔑を意味する。
お高い理想を掲げたにもかかわらず内容が全く伴わず自己満足に終始してしまい、『その行為に意味があるの?』とか『やらない方がマシだった!』って感じになった運動・イベントへの痛烈な皮肉でもある。
Wikipediaより引用
スラックティビズム(英: slacktivism)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。努力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。
この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。
こうしたスラックティビスト(スラックティビズムにあたる行為をする人)たちの行為は、多くの場合、個人の努力や負担を必要としない。
例
おそらく日本で最も有名なスラックティビズムがこれだろう。
被災地や復興支援として千羽鶴製作と送付が行われるが、被災者が欲しいのは食糧や衣類などの生活物資であり、千羽鶴など役に立たない。その上捨てるわけにもいかない処分に困る品である。
しかし送る側は何かいいことをしている気分に浸れるため、よく行われる。
例えば捨てられたペットの殺処分の停止を、処分施設に対して求める行為。
そもそも捨て犬や捨て猫などは、放置すれば病気の元となるため、捕獲して処分することは社会に必須である。
しかし、処分施設から引き取るでもなく、ただ犬猫殺処分の停止を求めるだけの動物愛護主義者も一定数いる。そもそも捨てる飼い主さえいなければ処分する必要もないのだ。
より詳しくは愛誤も参照。
詳しくはSDGsを参照。
やらない善よりやる偽善
スラックティビズムをこの言葉で正当化する場合もあるが、この言葉は「行為者の思惑に関係なくその行為を受けた者にとっては嬉しい行為」に対してのみ使うものである。
断じて「行為者が満足するだけで、行為を受ける者には何の役にも立たないありがた迷惑な行為」を正当化するものではない。
正当化されるのは偽善であって独善ではないのだ。
関連タグ
さよなら絶望先生:ある回にてスラックティビズムがどストレートにネタにされている。
ブリーチジャパン:「何もなせないし何もなした事がない、成そうとするための努力すらしたことないバカが何かした気になりたくてやっている愚行」の象徴として設立された組織