概要
戦力以外の要点が大きいと基地、小規模なものを砦。中世・近世以前のものまたは居住地を兼ねるものを城と呼ぶ。
敵の攻撃を受けてもやすやすと倒れたりなどしない堅牢なつくりをしている。
中世的な城や砦ではない近代的な「城塞」は、ヨーロッパでは、大砲の威力が上がり、一般の都市に備え付けの城壁で防ぐのが困難になってきた頃に登場。近付いた敵を集中攻撃するために、外壁は複雑な星型を描き、多数の大砲を備え付けた。
だが、要塞は動けないので、交通の要衝に建てないと意味が乏しく、敵の軍隊に遠回りされると何の意味もない。フランスの「マジノ線」のように要塞を連続して線状に造れば解消できるが、これらは建設と維持に莫大な費用を費やすことになった。長い海岸線を持つ国では、海防戦艦やモニター艦を移動する要塞として用いた。
第二次世界大戦でマジノ線が簡単に突破されたことから堅固な要塞線の存在意義が揺らぎ、航空機やミサイルにも対処が難しいため、戦略上の必要性は薄れている。
日本では、幕末にヨーロッパの理論を取り入れた沿岸防備のための台場(砲台)が各地に造られ、有名なのが品川台場である。本格的なヨーロッパ風城塞は、箱館の五稜郭が唯一だったが、結局それほど役に立たなかった。
明治時代になって、海岸沿いの要所(東京湾、瀬戸内海の入り口、津軽海峡、対馬など)や軍港周辺(佐世保、舞鶴など)に要塞が造られ、第二次世界大戦まで機能していた。