ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

宇垣纏の編集履歴

2020-01-13 16:51:26 バージョン

宇垣纏

うがきまとめ

宇垣 纏(うがき まとめ、1890年2月15日 - 1945年8月15日)は、日本の海軍軍人。

概要

太平洋戦争時に連合艦隊参謀長、第一戦隊司令官、第五航空艦隊長官等を歴任。最終階級は海軍中将。陣中日記「戦藻録」で知られる。


1890年(明治23年)2月15日、岡山県の農家の子として生まれる。

1912年(明治45年)海軍兵学校卒業、翌1913年(大正2年)には海軍少尉に任官。

以来、進級を重ね、巡洋艦『八雲』、戦艦『日向』の艦長を歴任。

1938年(昭和13年)海軍少将進級と同時に軍令部出仕となる。

1941年(昭和16年)8月、連合艦隊参謀長となり、以後連合艦隊の作戦指揮に参与。

1943年(昭和18年)海軍甲事件において山本五十六とともに米軍機の襲撃を受ける。山本は戦死、宇垣も重傷を負うが救助され帰還。

1945年(昭和20年)2月第五航空艦隊司令長官に着任、以後終戦まで沖縄戦における特攻作戦(菊水作戦)を指揮。

同年8月、玉音放送に際し、部下に命じ『彗星』11機からなる特攻隊を編成、自ら沖縄沖に向け出撃し、未帰還となる。


特攻作戦についての詳細は特攻を参照


人物

「鉄仮面」と渾名され、傲岸不遜、冷徹な印象を周囲に持たれていたが、著書『戦藻録』には家族を想う記述もあり、情に厚い一面も覗かせることがあったという。


登場作品

ジパング

CV:坂東尚樹


連合艦隊参謀長。階級は少将。

黒島と同じくミッドウェーから帰還した草加からみらいと大日本帝国の敗北を知る。マリアナ海戦では草加の具申した連合艦隊司令部の大和型戦艦「武蔵」から大淀型軽巡「大淀」への移動案に反対していた。


関連タグ

大日本帝国海軍 連合艦隊 特攻

ジパング

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました