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お笑いマンガ道場の編集履歴

2020-02-01 18:47:41 バージョン

お笑いマンガ道場

おわらいまんがどうじょう

お笑いマンガ道場は、1976年4月から1994年3月にかけて放送された中京テレビ制作のバラエティ番組。

概要

ひとつのテーマを元に、どれだけ面白いイラスト(一コマ漫画。ただし例外もあった)を描けるかを競う番組だった。


元々は東海三県ローカルだったが、1977年7月から東京12チャンネルで放送を開始。以後東海三県や関東地方以外のテレビ局でも放送されるようになった。なお、東京12チャンネルでは1980年3月いっぱいで終了してしまったが、同年10月から日本テレビで放送再開、以後最終回まで放送している。


出演者

(4代目)桂米丸

初代司会者。ただし最初の1年間のみの担当であり、なおかつこの頃は東海三県ローカルだったため、「え、そんな人が司会してたの!?」と思われる人がほとんどなのではなかろうか。

柏村武昭

2代目司会者。最終回まで勤め上げた上に放送途中でネット局が増えた事もあり、この番組の司会者イコールこの人、と言うイメージが強いのではなかろうか。

元は中国放送(RCC)のアナウンサーで、退職後は1975年4月から半年間『オールナイトニッポン』火曜2部のパーソナリティを担当した経験を持つ。放送終了後に自由民主党所属の参議院議員として1期務めた。

富永一朗

初回から参加。フリップの表裏を使って2コマ(稀に3コマ)漫画を描いたりおっぱいネタをやらかしたりしたが、やはり鈴木義司を(主に)「土管の中で暮らす人」といじり倒すネタ(むろん鈴木は「僕そんな生活してないよー」とばかりに苦笑い)が有名。

車だん吉

初回から参加。女性レギュラーいじりや「俺って結構色男なんだぜ」ネタで共演者を呆れさせ、女性アシスタントの顔の特徴をいじり倒した(今ならセクハラと取られてもおかしくない)ネタをやらかしては当然ながら女性アシスタントの怒りを買い、「悪かったなこの野郎!!」とばかりに、よりによってその特徴をデフォルメしたハンマーで1発どつかれたりしていた。ただし、『週刊漫画サンデー』(実業之日本社)に連載を持っていた時期があったほど漫画を描くのは上手い。

鈴木義司

初回からは参加してはいないが、最終回まで長らくレギュラーを務めた。富永のいじり倒しに対し、自身をお金持ちに描く見栄っ張りネタを描いた。さらに富永を「富永さんはスケベでデブな貧乏人なんです」等といじっては富永に「俺そんなにひどくねーよ」とばかりにムッとされるのもお約束であった。

女性レギュラー

エバ(元ゴールデンハーフ)→秋ひとみ→川島なお美→森山祐子(現・森山ゆうこ)が務めた。

よく言えば優等生的、悪く言えば当たり障りのないネタで柏村や視聴者を和ませた。ただし、川島は共演者をいじる事がしばしばあったし、森山は破壊的・破滅的・絶望的な歌唱力を披露して柏村や車や視聴者を脱力させてしまった。


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