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概要編集

1928年9月16日、東京都赤坂の商家の家で生誕。後に神奈川県川崎市に移住し育つ。


大学を卒業後金属製品の会社への就職が内定するが、健康診断で初期の結核が見つかり断念。療養中ソール・スタインバーグの1コマ漫画を見たのがきっかけで漫画家の道へ進む。代表作に読売新聞の夕刊で1966年~2004年の実に38年間連載していた『サンワリ君』等がある他、1970年10月から半年間フジテレビ系列で放送されたミニアニメ『われらサラリーマン党』(アニメーション製作はピープロダクションが担当)の原作も担当した。

2004年7月17日、悪性リンパ腫により76歳で死去。


1996年に紫綬褒章、2003年に勲四等旭日小綬章を受章している。1969年に一連の時事、風刺漫画により文春漫画賞、2002年に『サンワリ君』等一連の作品で第31回日本漫画家協会賞大賞を受賞した。


pixiv内のタグとしては本人を直接描いた画像(主に「土管の住人」として後述する『お笑いマンガ道場』の番組内で富永一朗(メイン画像右側)がよく描いていたネタの模写)の他に、土管そのものや土管の中に人やキャラクターが入っているイラストに付けられることが多い。


テレビ出演編集

1976年4月~1994年3月まで放送されていた中京テレビ製作の番組『お笑いマンガ道場』にレギュラー回答者として出演。番組内では蝶ネクタイをトレードマークにしていた他、自らを「豪邸に住み、大勢の人達の目の前で大量の札束をばら撒くお金持ちのキャラ」として描く見栄っ張りネタや富永一朗とのイラストでの互いの茶化し合い(自身の事を「土管に住んでいる(稀に鈴木と同じ顔をした妻や子供まで登場する事もあった)」や「アホウドリ(実在する同名の鳥ではなく、顔が鈴木になっている架空の鳥)」等と描いてきた富永を、「お化けナマコ」や「オオサンショウウオ」等として描く)が番組の名物となった。


鈴木と富永は「駆け出しの頃から数十年にわたる盟友」を公言してはばからない仲であった。番組がスタートする際、鈴木が富永へ出演する様に誘ったほど仲がいいからこそできたやりとりであったとされる。その為、鈴木の死に対して富永は「もう一度マンガ道場で一緒にやりたかった」と肩を落としている。


その富永も2021年5月5日に大往生。盟友鈴木が待つ天国へ旅立った。



その後編集

2021年10月、お笑いマンガ道場を放送していた中京テレビが過去の放送をWEB配信するにあたって権利者との連絡・交渉をしていたようなのだが、鈴木に関しては遺族の消息が不明となっていたらしく、許諾に関する連絡がまったくとれず権利者不明状態にあったが、11月にその辺りが解決したのかHuluでの配信が開始された。



関連タグ編集

漫画家 富永一朗 お笑いマンガ道場 土管

ラクガキ王国 -登場するラクガキの一種、モッサリハチのデザインを担当。

宝くじ -当選エピソード漫画である『ハッピーさん』を長年執筆していた。

ゴルフ(ファミコン) -自著である『縮緬雑魚の散歩』の中に、このゲームを取り上げたコラムがある。

パネルクイズ アタック25 -解答者として出場した回(漫画家大会)で見事優勝し、旅行券も獲得した経験を持つ(1979年に報知新聞で連載していたコラムの中で、この事について触れていた回があった)。

大塚製薬 -同社が発行しているOTSUKA漫画ヘルシー文庫の第1弾である臓器編に参加し、肝臓の漫画『でっかい化学工場 肝ぞう!』を執筆した。

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