概要
「史記」にも散文的な記述しか残っていないが、若くして秦の武将として活躍してきたことはたしかなようである。史記は紀伝体(年表で歴史を語るのではなく、歴史において活躍した個人を中心にまとめた歴史書形態)であり、活躍したその時代の人間には個別に項目が立てられているのだが、李信については個別の記述が無くどういう人間であったのかは分かっていない。
おそらくその後の秦がたどる滅亡と動乱によって李信の記録は失われていったのであろう。
確かなことは秦の統一事業に関わっていた中心メンバーの一人であり、その子孫たちも代々人物を輩出しているということである。
子孫として最も有名なのは唐の詩人:李白だろう(ただし、あくまで民間での伝承の一つに過ぎず、史実においては、李白はそもそも漢人ではないという説も出ているほどで、出身は謎となっている)。
主な活躍としては燕・代・斉の攻略が上げられる。楚にも侵攻したが項羽の祖父項燕将軍によって大敗を喫している。失態を犯したものの粛正されることもなく、その後も将軍として活躍していたことから秦王政には信用されていたと考えられる。