交流機では珍しいF軸機関車である。これは、北陸トンネル開通以後の輸送力増大に対応したためである。
1961年に1号機が登場。製造年次により一次形と二次形に分かれるが、一次形はヘッドライトがおでこに一灯、二次形はおでこに二灯となっているのですぐにわかる。
本機は、敦賀・富山の各機関区に配属されて貨物列車はもちろん旅客列車も牽引した。
また、20系寝台客車牽引のためにブレーキを改造した1000番台も登場した。
運行区間は北陸本線の田村~糸魚川間でまさに「北陸本線の主」であった。
しかし、日本海縦貫線用に開発されたEF81の台頭により活躍範囲が狭くなり、ついには二次形の61号機からラストナンバー81号機までの20両が九州は門司機関区に転属となった。これは本機が交流60Hz専用のため、転属できる路線が限られているからであった。九州では熊本以北の鹿児島本線と長崎本線で運用され、たまにブルートレインも牽引したが、九州の機関車としては出力が大きすぎて力を持て余した。
結局、北陸・九州とも国鉄の分割民営化を見ずに全廃となった。
余談ではあるが、本機を直流機化改造する計画があった。老朽化した荷物列車牽引機EF58の代替として直流機化する計画があったが、1984年に信越本線の電車化で大量余剰となったEF62に代替することが決定され、EF70の直流機化計画は幻に終わった。