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CV:玄田哲章(OVA)、安元洋貴(Die Neue These)

経歴

ゴールデンバウム朝銀河帝国軍、ラインハルト・フォン・ローエングラム麾下の艦隊司令官。

ワルキューレ自由惑星同盟軍のスパルタニアンを数多く撃墜してきた撃墜王であったが、艦隊用兵家の面も持ち、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥の元帥府に中将の階級で招かれる。

帝国暦487年のアムリッツア会戦では、その前哨戦のヤヴァンハール星系での会戦でヤン・ウェンリー中将の第13艦隊と交戦。スパルタニアン隊に押され気味のワルキューレ隊に対し、艦砲の射程内に相手を誘い込みそれで撃破する指示を出し同盟軍に痛打を与え元撃墜王としての貫禄を見せ、第13艦隊の撃墜王・ウォーレン・ヒューズサレ・アジス・シェイクリを戦死させる。

だが艦隊戦では半月陣をとったヤンに左右から交互に攻撃されて出血を強いられ、陣容を再編する為に後退するが、その隙を突かれヤンは撤退。ヤンは撤退のチャンスをうかがっていただけだが、ケンプはその行動を罠と判断し獲り逃す事となる。

アムリッツア会戦にも参加し、壊滅的打撃を受けたフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト中将を除き、僚将達と共にラインハルトより賞賛の言葉を貰うだけの活躍をし、昇進を約束される(艦隊を壊滅させたビッテンフェルトはラインハルトの叱責を受けるが、厳罰に処されるところをジークフリード・キルヒアイス上級大将に取りなされ、事なきを得ている)。

帝国暦488年、リップシュタット戦役に参加。

帝国暦489年、大将となりイゼルローン方面軍の司令官となっていたケンプは、キルヒアイス亡き後にラインハルト配下でNo2的な地位を得たウォルフガング・ミッターマイヤーオスカー・フォン・ロイエンタール両上級大将を牽制し、両者のこれ以上の地位の突出を避け、権力を分散させたい総参謀長・パウル・フォン・オーベルシュタイン上級大将から当て馬として推薦を受け、ガイエスブルク派遣部隊司令官に任じられ、ガイエスブルク要塞をワープアウトさせてのイゼルローン要塞攻略を図った。

要塞砲での撃ち合いは、双方共倒れとなる為に彼我一回で終え、次に強襲揚陸艦による装甲擲弾兵による制圧作戦も撃退された。

更に大規模な要塞砲での砲撃でイゼルローンを牽制し、その隙に副司令官ナイトハルト・ミュラー大将の艦隊のレーザー水爆でイゼルローン表面に大穴を空け、そこから装甲擲弾兵を雪崩れ込ませ制圧する作戦も、出撃してきたウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ客員中将率いる艦隊の巧みな運動でイゼルローン要塞と艦隊の砲火を浴びる包囲網にミュラー艦隊がかかる結果となり、ケンプは予備のアイヘンドルフ少将とパトリッケン少将の艦隊を出撃させミュラー艦隊の収容を図らざるを得なかった。

その結果に不満を抱いたケンプはミュラーを叱責し、彼を後方に配置している。

決め手を欠いたガイエスブルク派遣艦隊はそのまま戦線を膠着状態させる事となったが、ケンプはラインハルトに「戦況有利」と報告している。が、ガイエスブルク要塞をイゼルローン要塞にぶつけてもいいと考えていたラインハルトはここまでがケンプの限界と判断し、ケンプを推薦したオーベルシュタインにその旨を告げ、ウォルフガング・ミッターマイヤーオスカー・フォン・ロイエンタール上級大将の増援部隊を派遣する事を決めた。

だが、その増援部隊が到着する前に、査問会に出席していた為に不在だった(ケンプは知らなかった)イゼルローン要塞司令官・ヤン大将が5千隻あまりの艦隊と共にイゼルローンに向かいつつある事を知ったケンプは、ガイエスブルクでイゼルローンを牽制するなか艦隊を率い、増援艦隊をまず撃破して後にイゼルローン部隊に当たる各個撃破作戦を立てたが、ヤンにはイゼルローン回廊の狭さを利用した回廊一杯にリング状に広がっての包囲攻撃を受け出鼻を挫かれ、次には隊形を密集させた集中砲火で混乱。更にイゼルローンより出撃してきたメルカッツの艦隊により挟撃される事となりガイエスブルク要塞への撤退に追い込まれる。

ことここにいたり、ケンプはようやく共倒れになるもののガイエスブルクをイゼルローンにぶつけて破壊すれば派遣部隊の目的を達する事を悟りそれを実行に移すが、ヤンは正当な戦略家にあるまじきこの作戦案と対処策を当初から練っており、16基あるガイエスブルクのエンジンの1つをピンポイントで破壊、ガイエスブルクは進路を外れ周辺の艦隊を巻き込み暴走。更にイゼルローンのトゥールハンマーにより止めを刺された。

この折に致命傷を負ったケンプもガイエスブルクと運命を共にした。

死後、上級大将に昇進するむねが、遺族に伝えられた。

人物

茶色の髪を短く刈り込み、ずばぬけた長身だが、そうとは感じさせないほどの肩幅を持つ体格で花崗岩のような風格を持つ。性格は豪放で公明正大であり、正統派の用兵家として知られていた。

アムリッツア会戦の前哨戦ではヤンを前にいい所が無かったが、当時はラインハルトからはジークフリード・キルヒアイス上級大将、オスカー・フォン・ロイエンタール中将、ウォルフガング・ミッターマイヤー中将に次いで用兵家として信頼を受けていたと思われ、リップシュタット戦役終了後は、帝国と同盟が唯一戦火を交えるであろうイゼルローン方面軍の司令官に任じられている事からもそれは伺える。

ただ正統派の用兵家として、ガイエスブルクをイゼルローンにぶつけるなどの従来の発想を越える事に難があり、それをラインハルトからはケンプの限界と評されている。

ローエングラム陣営のなかでは珍しい妻子もちであり、長男のグスタフ・イザーク・ケンプ、次男のカール・フランツ・ケンプがいる。

家庭生活は円満で、妻の実家にも仕送りをしていた。

最後の戦いとなった第8次イゼルローン攻防戦では、年下のミッターマイヤー、ロイエンタールが上級大将になっている事への競争意識があり、何時もの器量や公明正大さに欠ける面が見られた。

もっとも己が最期を前にしてその執着は取り除かれたようであり、戦役中に公明正大なものに欠けていたミュラーへの態度を反省してか、参謀長のフーセネガー中将に「ミュラーに詫びてくれ」と託を頼んでいる。

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