「心配するな。負けはしない。」
「英雄なんかであるものか。」
概要
担当声優
- 富山敬(劇場版『わが征くは星の大海』『新たなる戦いの序曲』、OVA本編)
- 郷田ほづみ(OVA外伝)※富山死去による代役
- 原康義(劇場版『黄金の翼』)
- 鈴村健一(Die Neue These)OVA外伝「螺旋迷宮」にも無名の兵士役で出演している
階級
容姿
道原かつみ版(左下) | 石黒監督版 |
---|---|
藤崎竜版 | Die Neue These |
- 見た目は黒髪黒目の売れない学者。どうみても高級士官には見えず、不敗の魔術師の顔を知らない人からは、町ですれ違っても、なんとも言われないと言うことがしばしばある。
- 見る人が見ればハンサムな青年。
- 「軍服を着ていても軍人に見えない」と言われていたが、後に結婚式で「軍服の方がまだ似合っていたんだな」と訂正される。
- 実年齢より2~3歳若く、穏やかに見える。よって彼の勇名のみを知る人は実際のヤンを見てギャップに驚くことも。
来歴
「不敗の魔術師」、「ミラクル・ヤン」、「ペテン師」と様々なあだ名を持つ、戦術の天才。
本来は歴史研究家志望だったが、大学進学を目前にして交易商人だった父・ヤン・タイロンが事故死。彼の唯一の遺産だった骨董品はほとんど全部贋作だと判明して無一文になり、しかたなく、タダで歴史が学べるという理由で士官学校に入学した。その為、戦術史などの興味がある科目以外はギリギリの成績だったという。特に戦闘機、射撃などの実技は赤点ギリギリで、後に先輩のアレックス・キャゼルヌから「首から下は役立たず」と言われている。
その後、戦時経済の圧迫で歴史研究科が廃止され、学校側からその高い戦術戦略センスに目を付けられて嫌々ながらもエリートが通う戦略研究科に転科。戦術シミュレーションにおいて、主席学生だったマルコム・ワイドボーンを下しているが、ワイドボーン艦隊の補給線が伸びたところを叩くというヤンの作戦は反則とされ、この回限りと釘を刺された。しかし、このことにより当時の士官学校校長・シドニー・シトレに才能を注目され、一目置かれることとなった。
初任地は惑星エル・ファシル。さっさと退役して年金生活に入りたいという考えしか頭になかったので、勤務態度はお世辞にもよいとは言えず、この頃は「穀潰しのヤン」「無駄飯食いのヤン」などと揶揄されていた。しかし、帝国の侵攻に際して、不可能と思える脱出行を見事に成し遂げ、一躍時の人となる。やがて帝国の英雄ラインハルトが頭角を表すにつれ、自由惑星同盟軍で華々しい栄達を遂げていく。しかし本人はそんなことは全く望んでおらず、むしろ政治権力を嫌うその性格から、味方であるはずの同盟政府からも目の上のたんこぶ扱いされていた。
その後も相手の精神的な隙をついたトリックのような大胆かつ精密な戦略戦術で何度も帝国軍を撃退し、その絶対に負けない戦いぶりから「不敗の魔術師」と呼ばれるようになる。そのもっとも代表的な例が難攻不落と謳われたイゼルローン要塞の無血攻略である。
希代の英傑・ラインハルト・フォン・ローエングラムと幾度となく戦火を交え、自由惑星同盟崩壊後も残存勢力を率いて戦い続けたが…。
⇒{ネタバレ}へ
能力
劇中屈指の用兵家であり、戦術レベルでの能力は作中でも群を抜く。あらゆる戦術に精通するが、中でも相手の心理的な盲点や隙を突く心理戦を得意としており、帝国軍の将帥はもちろん、”常勝の天才”ラインハルトですら彼を戦場で完全に倒すことは出来なかった。これが”不敗の魔術師”たるいわれである。とはいえ、戦略・戦術両面に優れたジークフリード・キルヒアイスとは相性が悪いと主張する人もいる。帝国領侵攻作戦時に対峙したC戦区宙域での戦闘では戦力を隙なく布陣したキルヒアイス艦隊に、さしものヤンも「つけこむ隙も逃げ出す隙もない」と溜息をつかせるほどであった。ただし戦力差でおよそ4倍と圧倒的に不利であり、ヤン艦隊は飢えていてさらに急な撤退命令を受けながら1割程度の犠牲で逃げ切ったことを考えればやはりヤンのほうが一枚上とみることもできる(キルヒアイスがヤンを取り逃がしたことがアムリッツァでビッテンフェルト艦隊が壊滅する遠因にもなった)。
また、ヤンの才能は戦術レベルに留まらず、劇中ではむしろ「本質的には戦略家である」と語られている。
彼は常に「戦術的勝利では戦略的不利を覆す事は出来ない」と言う事をよく弁えており、戦の本道は敵より多くの戦力を用意する事、そしてその兵站を整える事が重要であると理解していた。
かつて士官学校時代に戦略研究科首席マルコム・ワイドボーンとのシミュレーションで「補給線を断つ」と言う戦略的な手段を取って勝利したこともある。
また、銀河帝国に内乱が生じた際「ラインハルトなら同盟の介入を防ぐため謀略を仕掛けてくる」と言う事を先読みしており、ビュコック元帥に根回しを行うなど、先見の明にも優れていた。
が、戦略を構築する上で必要不可欠である政治力に関しては自身の無頓着さもあって全く才能がなかった。
「私にとっては政治権力というやつは下水処理場のようなものさ。無ければ困るが、自分から近づきたいとは思わないね」と公言するほどに権力を嫌っていたことは、厳しく言えば彼の行動範囲を大きく狭めてしまっていたといえる。
それゆえ、ヤンは生涯にわたってその戦略的才能を活かす事はなく、ラインハルトと戦略レベルでも互角の力で対峙すると言うことは最期までなかった。
ヤンは自身がラインハルトを凌駕するとは考えてはいなかったが、比肩することはできる、とはみなしていたようである。
ただし、ヤンは自身の能力、才能を完全に振るうことに対しての躊躇い、ある種の恐怖を持っていた。それは自身が権力に近づくことでルドルフのようにならないという自信を持てなかった事であり、それは後に自由惑星同盟延命のためにヤンを謀殺しようとしたジョアン・レベロがヤンに対して持っていた懸念でもあった。ある意味、そこがラインハルトとヤンの最大の違いであったろう。
一方でこれは、そもそも民主国家の軍人には権限に大きな制約が課されており、加えてヤン自身「軍人が政治権力を握ってはならないし、軍人を統率するものが軍人であってはならない」という民主共和制の根幹を成す「シビリアン・コントロール(文民統制)」の理念を守り、いかに周囲に望まれようとも決して権力の座に立とうとはしなかった、と言うのも理由である。
このことは民主主義を信奉するヤンの人柄の現れであるのだが、「個人の思想・信条にこだわり過ぎて無用な戦いを避けられず、かえって多くの血を流させた」という後世からの批判にも繋がっている。「結局ヤンはなにがしたかったのか? 何を守りたかったのか?」とは後世の歴史家が口をそろえて唱える批判だが、ヤンが守りたかったのは思想・主義・政体の多様性であって自由惑星同盟の存続ではなかったというのが妥当なところだろう。
他方で、必ずしもその理念に徹している訳ではない、と言うのもヤンを語る上で欠かせない事情である。
文民統制を重んじながらも、その文民である同盟政府の首脳陣を全く信頼していなかったヤンは、しばしば「命令さえされていなければ問題ない」とばかりに独自の行動を取る事も多かった。
例えば救国軍事会議のクーデター鎮圧の際には、政府が「アルテミスの首飾り」の破壊を望んでいない事を理解した上で、その全破壊を行っている(もちろん「艦隊の犠牲を減らすため」と言う名目があったのは確かだが、「ハイネセンが守られているのが気に入らない」と言う感情も混じっていた事は劇中の描写から明らかであり、後に査問会で「破壊するにしても全部破壊しなくても良かったのでは」と指摘されている)。
それが結果的に回り回ってバーミリオン星域会戦における自身の敗北を招いた(アルテミスの首飾りが有れば同盟政府の無条件降伏が遅れ、ブリュンヒルトを撃沈せしめていた可能性も高い)のは、まさに皮肉としか言いようがないだろう。
その極地とも言うべき行いが、同盟が降伏した際にメルカッツ提督に一部戦力を預けて独自行動させた「動くシャーウッドの森」である。これはヤンと言う軍人による軍事力の私物化としか言いようがなく、文民統制の原則からは明らかにかけ離れている。それも、直前に文民統制を理由に勝てる戦いを中止したばかりにもかかわらず、である。
もちろんこの戦力が後に帝国への反抗戦力として大きな役割を発揮し、民主主義を帝国に根付かせる一助となったのだが、これを「柔軟な考え」と取るか「信念を貫けていない」と取るか、あるいは「どうせ原則を破るなら、戦闘を継続すべきだった」「もしくはそれ以前から権力を握ろうとすべきだった」と取るかは、人による所だろう。
そもそも文民統制化にあっても、軍人が全く政治に関わってはいけないなどと言う事はない。当たり前の話だが、軍事については軍人が一番詳しく、政治家は素人である。軍事の事を政治家が全て決めるなど、非現実的としか言いようがない。
よって文民統制と言う制度は「軍人が政治家にアドバイスを行い、政治家がそれを元に決定を下す」と言うプロセスを前提としている。あくまで決定権が政府にあると言うだけで、むしろ戦時下の文民統制においては、軍人と政治家はより密な連携を取る必要があるのだ。
末期同盟政府が決定権を濫用していたのは事実だが、過剰に政治から離れようとしたヤンもまた、文民統制の原則からは反していたと言える。
実際のところ、彼のこの主義には同盟市民としての義務感以上に、「政治に近づきたくない、大きな責任を負いたくないと言う怠惰」や「ラインハルトと言う尊敬すべき相手を討ちたくないと言う感傷」、そして前述の「自身の能力を完全に発揮することに対する躊躇い、恐怖」などの要素が強かったと見る事も出来る。
一方でただの口実でしかなかったと言う訳でもなく、時には自分の立場や利益よりも民主主義の維持を優先する事もあったのも事実である。
ともあれヤンは、文民統制を絶対遵守する信奉者などではなく、感情で動く人間であったのは確かである。もっとも、だからこそその人間臭さが読者にとっての魅力になっているのも確かだろう。
後に、彼(と、エル・ファシル政府の主席であるロムスキー医師)の死後に発足した「イゼルローン共和政府(別名・8月の新政府)」が軍事政権となったのは、彼の信念が仲間に理解されなかったとも、彼の行動が仲間に受け継がれたとも取れる。
一応、フレデリカ・グリーンヒル・ヤンが主席となってはいるが、その就任はほとんどヤン艦隊幹部が主導しており、作中で選挙が行われた様子もない、完全な軍部主導の政権であった。
(もちろん現実的に考えれば到底選挙など出来る状況ではないし、共和政府の存続には軍部の力が必要不可欠であった、と言うのも事実なのだが、作中ではフレデリカもユリアンもそうした事情を考えすらせず、当たり前のように軍部の主導を受け入れている)
さて、その一方で平時においては役立たずで、イゼルローン要塞の事務・行政は「デスクワークの達人」といわれるキャゼルヌに全権を委任、自身は公園でぼんやりとし居眠りすることが多く、平時においても施政家として精励していた皇帝・ラインハルトと比較される羽目になっている。
また文才は絶無に近く、「『酒がいかに歴史に貢献したか』を論文に書くつもりだ」と言ったときには、親友・ジャン・ロベール・ラップに「ぜひ読ませてくれ。吟味熟読したい」とからかわれ、実際に書きはじめたときには養子のユリアン・ミンツに「今どき安酒場の方がもっとましな文章を書きますよ」と酷評されている。
それゆえにみずからの思想・信条を文書にして残したことがなく、ユリアンが(いささか私情の入った形で)書き残している。
人柄
- よく言えば穏やかで悪く捉えるならものぐさな性格。養子のユリアンが居なければ最低限度の生存すら危ぶまれる残念な生活力。できることならば呼吸すら億劫という駄目人間の見本。故にヤンの女性読者人気は完全に想定外だったと、作者が5巻の後書きで語っている。
- 相当な毒舌家で毛嫌いする対象(人、事柄など)には拒絶を隠さない傾向があり、公然の面前でも平然と毒を吐く。このため権力者や教条主義者からは嫌われていた。
- 歴史家になることを今だ諦めきれずにいるが、自らの発見や考証を学術的に記録する文才が致命的に乏しいため、歴史研究者としての適正は高くない。
- 軍人なのに大の戦争嫌い。ただし戦略構想などを考えるのは好きで、貴族連合軍に力を貸してラインハルト艦隊と共倒れさせる作戦を考案したときには自己嫌悪している。
- 防衛戦や相手を誘いこんでの迎撃戦が得意。逆に攻めるのは若干苦手とする。
- 大の紅茶党で何よりの好物はユリアンのいれた紅茶。珈琲は敵。曰く「下品な泥水」。
- 自衛用の拳銃すら携帯しない。(撃っても当たらないから)
- 三次元チェスが下手の横好き。ラインハルトとの二度目の会見時の随員は、ヤンが勝てそうな相手だけを選んだとも噂される。
- 他人に「この方についていこう」と思わせるラインハルトとは対照的に、「この人には自分がついていてやらなければ」と思わせるところがあり、彼を慕う人材がひっきりなしに集まってくる。ただし一部の例外(ムライ中将やスーン・スールズカリッター少佐など)を除いて、ほとんど全員が毒舌家である。
- 学者肌であり、物事を俯瞰して見る所があった。故にどんな状況でもどこか他人様のように語ったり必要以上に(端から見れば)のほほんとしていることもしばしば。
異名・二つ名
不敗の魔術師
勝算のない戦いを絶対にせず、上からの命令などでやむを得ず勝てない戦に臨むときでも負けない戦いをするところから。
ミラクル・ヤン、ペテン師
常道、奇策ともに優れているところから。帝国側からは畏怖と敵愾心から。
エル・ファシルの英雄
惑星エル・ファシルからの民間人撤退指揮を逃げ出した上官から押し付けられるも、見事にこなしたことから。これをきっかけに、ヤンは次第に名を知られる様になってくる。
寝たきり司令官
ヤン一党に付けられたあだ名。イゼルローン事実上の市長は要塞事務監のアレックス・キャゼルヌと言われており、平時ではヤンよりもキャゼルヌがいないほうが困ると評されるほど、できることならば呼吸すら億劫という彼のものぐさな性格を一番的確に表しているといわれるもの。
ごくつぶしのヤン、無駄飯食いのヤン
エル・ファシルで功績をたてるまで叩かれていた陰口。勤務態度が勤勉でないことから。類似の例として「良く言って給料泥棒」(ワルター・フォン・シェーンコップ談)。
語録
「何処のヤンさんだろうね」
戦意高揚のポスターの中に描かれた自分を見てのぼやき。
「出来れば紅茶の方が良かった」
珈琲とサンドイッチを差し入れた少女(後に彼の妻となるフレデリカ・グリーンヒル)に一言。後年、再会したときに冗談交じりに指摘されるが当のヤン本人はフレデリカに言われるまで思い出せなかった。
紅茶入りブランデー
作戦会議中にブランデーをなみなみ投入してユリアンに睨まれる。ちなみに他の幕僚達もブランデーを飲み回した。
「酒は人類の友だぞ。友人を見捨てられるか」
「酒だって飲んでもらった方が本望に決まっている」
「そもそもだな、人類は五千年前にも酒を飲んでいた。現在も酒を飲んでいる。そして五千年後だって、やはり酒を飲んでいるだろう。人類に五千年後があれば、の話だが」
ヤンの家計に占める酒代の割合が2年間で倍増していることをユリアンに指摘され、苦し紛れに演説をぶつのであった。
「まもなく、戦いが始まる。ろくでもない戦いだが、それだけに勝たなくては意味がない。勝つための算段はしてあるから無理せず気楽にやってくれ。かかっているのは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べれば、大した価値のあるものじゃあない」
ヤンを撃滅するために侵攻してきた救国軍事会議傘下の第11艦隊。それを迎え撃つために相対した際、ヤン艦隊に向けて放たれた名言。民主主義を至上とするヤン曰く、『珍しく見識のある発言』だった…のだが、この発言がトリューニヒト一派に利用され、後にヤンを裁くための「査問会」が開かれることになる。
「素晴らしいご意見です。戦争で命を落としたり、肉親を失ったりしたことのない人であれば、信じたくなるかも知れませんね。まして、戦争を利用して他人の犠牲の上に自らの利益を築こうという人々にとっては、非常に魅力的な考え方でしょう。ありもしない祖国愛をあると見せかけて、他人を欺くような人にとってもね。」
「あなた方が口で言うほど祖国の防衛や犠牲精神を必要とお考えなら、他人にどうしろこうしろと命令する前に自分達で実行なさったらどうですか?」
「人間の行為のなかで、何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは権力を持った人間、権力に媚を売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか?」
査問会に出頭させられたヤンが、壇上の高官たちを痛烈に批判した言葉。戦争に明け暮れた挙句に多数の国民を死なせて尚も体裁ばかり気にする自国の政治家達に対するこの上ない皮肉となった。
しかも、この頃同盟は既に社会システムが壊滅状態にあるにも拘わらず未だに戦争を賛美しているのである。民主主義を守ると美辞麗句を並べながらも、自分達の政治権力のためだけに。ヤンにとって憂国騎士団も含めて自分達の懐は痛まず、死ぬこともないから戦争を賛美する彼らはラインハルトにとっての門閥貴族同様に侮蔑するべき存在である事を窺わせる。
「人民を害する権利は、人民自身にしかないからです。言いかえますと、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム、またそれよりはるかに小者ながらヨブ・トリューニヒトなどを政権につけたのは、たしかに人民自身の責任です。他人を責めようがありません。まさに肝腎なのはその点であって、専制政治の罪とは、人民が政治の害悪を他人のせいにできるという点につきるのです。その罪の大きさにくらべれば、一〇〇人の名君の善政の功も小さなものです」
ラインハルトとの会談の際。目の前の青年が理想的専制君主と認めながらも民主主義の優位を説き勧誘を断る。ラインハルトとヤンの視点の違いがよく分かる言である。
「世の中やっても、ダメなことばかり~♪か。どうせダメなら酒飲んで寝よか」
こうしてヤン提督の飲酒量は右肩上がりに上昇してゆくのであった。
オスカー・フォン・ロイエンタール
「帝国軍の双璧」と並び称されるオスカー・フォン・ロイエンタール、ウォルフガング・ミッターマイヤーのうち、ミッターマイヤーとは直接対決したことはないが、(ロイエンタールは「イゼルローン回廊の戦い」の作戦案を立案、ラインハルトの裁可を受けて実行しているが)、ヤンとロイエンタールが直接指揮を執って対決したのは「ラグナロック作戦」が最初で最後となっている。
それまではヤンもロイエンタールのことは詳しく知っておらず、「ローエングラム公の部下に負けるわけにはいかない」と広言、しかし、すぐに「優秀な敵はいくらでもいる」と嘆息しつつも前言を撤回している。
こうしたこともあって、ヤンとロイエンタールが直接対決することは二度となかったが、両者には同じ年に生まれ、同じ年に死去した以外にもいくつかの共通点がある。
- 父親が資産家。ヤンの父は商人、ロイエンタールの父は投資を20年続けて資産を築いた。ただしヤンの父の資産は抵当に入っており、相続した時点ではろくに残らなかった。ロイエンタールの父の資産はそのままロイエンタールに残った。
- 現在、両親とも他界し、兄弟・姉妹もいないため家族の縁がない。
- 傑出した才能をもつため、部下に人がいないとの評が(一般的に)定着している(ロイエンタールに至っては親友のミッターマイヤーにさえそう思われている)。
- 自分自身の欠点をも客観的に見て冷笑する皮肉屋であり、味方陣営(自由惑星同盟・銀河帝国)にも辛辣な評価を下すため、味方も多いが自分が思っている以上に敵も多い。
- 自分が相手にしなかった小人(ヤンはアンドリュー・フォーク、ロイエンタールはハイドリッヒ・ラング)と地球教の陰謀により悲運に見舞われる。
- ヤンとロイエンタールの死は皇帝・ラインハルトに最大の利益を与えることになったが、ラインハルトの覇気に耐えがたい衝撃と失望を与えることとなった。
ラインハルト・フォン・ローエングラムとの類似・相違
軍事能力以外での比較
類似点
・母を幼い頃に亡くしている。
・生活においては無頓着で質素なものを好む。
・女性関係も淡泊で奥手。
・図々しく悪びれない人間に対する寛容がある(ヤンならバグダッシュ)。
・凡人の思考を理解できない。
・性格の違いはあれど、自分自身の保身に対して無頓着。故に艦隊戦以外で窮地に陥っていた。
・自分だけ安全な場所で戦争を賛美する人間を侮蔑する傾向が強い。ラインハルトの場合は門閥貴族、ヤンの場合はトリューニヒトを筆頭とした政治家達や憂国騎士団或いはそれに媚びを売る腐敗した軍人達
相違点
・ラインハルトに比べユーモアのセンスがある(表現力が問題なだけ)。
・趣味があり、できれば仕事をサボりたがる(ラインハルトはワーカホリック気味)。
・歴史に対して傍観者でありたいと考えている。
・ヤンにはアッテンボローやキャゼルヌ、シェーンコップ、ジャン・ロベールなど対等の親友や仲間に恵まれたのに対して、ラインハルトには親友がキルヒアイスしかおらず後にエミールが弟分となれた程度だった。
・ヤンは自らのポリシーからエル・ファシルからの脱出行やイゼルローン要塞放棄の際に数百万もの民間人に一人の犠牲も出さなかったが、ラインハルトはアムリッツァ会戦やリップシュタット戦役において戦略や政略的な優位を得るためとはいえ事実上、数千万の民衆の犠牲を容認している。
・自身の能力を完全に発揮することに対して躊躇いがある。
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