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レオーネ(スバル)の編集履歴

2020-10-01 00:16:05 バージョン

レオーネ(スバル)

すばるれおーね

富士重工(スバルブランド、現・SUBARU)の(過去の)自動車ラインナップのひとつ。

概要

1971年10月から1994年3月まで(ただし実質1992年10月まで)、3世代にわたって製造・販売が行われた。

野生の響き

もともとは当時発売していたスバルff-1との兼ね合いから、クーペ(実質的にはサッシュレスドアのピラードハードトップ)モデルしか発売されなかったが、1972年4月にff-1からのモデルチェンジというカタチでセダンとエステートバンが追加された。その後1973年6月にはピラーレスの2ドアハードトップが追加された。

スバル レオーネ

レオーネは世界初の(量産)四輪駆動乗用車が追加されたことで知られる。1972年8月1日にエステートバンに4WDを追加した。前年に東北電力からの依頼を受けて生産した「1300Gバン4輪駆動車」から得た経験を活かし、世界で初めて「ジープタイプではない4WD」を世に送り出した。さらに1975年4月には4ドアセダンにも4WDが追加されている。


とにかくモデルの寿命が長く、初代と3代目は8年も持たせてしまった。2代目(メインイラストも参照)は5年とやや短いものの、4年でフルモデルチェンジは当然とみられていた1980年代当時の日本車にしてはやや長寿であった。ただし、スバルでは短い方である(当時のスバルのモデルチェンジサイクルは2ケタが普通)。


また、4WDの評判が良かった上、他のメーカーも前輪駆動(FF)車を続々と売り出すようになった事もあり、2代目と3代目は「あれ? FFあったの? てっきり四駆だけかと思った」と勘違いされることも少なくなかったという。余談ながら日本におけるFFの元祖は1955年発売のスズキ・スズライトである。


富士重工 レオーネ イラスト

2代目のラインナップはセダンとハードトップ、エステートバンのほかに「スウィングバック」と呼ばれた3ドアハッチバック、さらにはステーションワゴン、3代目はセダンとエステートバンおよびステーションワゴンに加えて3ドアクーペが設定されている。

また、2代目のイメージキャラクターを歌手岩崎宏美読売ジャイアンツ入団当初の原辰徳が務め、テレビCMでは岩崎・原の共演もあった。


1989年に、スバルの看板車種となるレガシィが現れ、同年以降は低グレード車をベースとしたお買い得仕様の「マイア」シリーズとエステートバンのみとなった。なおマイアは、プレアデス星団(別名昴。「スバル」の由来)の中の星の名前のひとつ。

その後1992年10月に後継車種となるインプレッサが現れたことで「マイア」シリーズが廃止される。そして1994年3月、ライトバンの生産・販売を打ち切ったことで、23年の歴史に事実上幕を下ろした。

  • 実はインプレッサは“4代目レオーネ”という前情報があったが実現しなかった。ただし、イスラエルでは初代インプレッサについては発売当初は「グランドレオーネ」と名乗っていた。

なお、名称そのものは日産ADの富士重工バージョンとして2001年まで使用された。

逆に3代目のライトバンに関しては、いすゞディーラー(いすゞモーター店およびそれがない地域のいすゞ店)でも「ジェミネット2」の名前で売られていたことがある。

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