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会津松平家の編集履歴

2020-11-21 14:39:44 バージョン

会津松平家

あいづまつだいらけ

会津松平家とは後家門の一つ。

概要

徳川秀忠の四男保科正之が創始した会津藩の家系、正之は保科正光の養子になる。その後異母兄の家光によって出羽国山形藩20万石。その後陸奥国会津藩23万石に封じられた。正之は松平姓を辞退し続けていたが、正容の代になって松平を称する。会津松平家は秀忠の子孫の家系の一つだったが、7代当主容衆が早世したことで血統は断絶し以降は養子が続いた。8代当主の容敬と9代当主容保は美濃国高須藩の高須松平家から養子に入った。容保は幕末に京都守護職に就任して倒幕派と戦った。大政奉還後は戊辰戦争が始まり、会津で新政府軍と戦った。その後降伏し蟄居となる。容大の代になって華族に列し、子爵に叙爵された。


歴代当主

  1. 保科正之
  2. 保科正経
  3. 松平正容 - 正容の代の途中から松平姓を名乗るようになる。
  4. 松平容貞
  5. 松平容頌
  6. 松平容住
  7. 松平容衆
  8. 松平容敬
  9. 松平容保

外部リンク

会津松平家 - Wikipedia


関連タグ

会津若松 松平家 松平容保

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