概要
足利基氏とは、南北朝時代に活躍した武将である。
室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏を父、尊氏の正室・赤橋登子を母として生まれる。
また、室町幕府2代将軍・足利義詮は同母兄、叔父・足利直義の養子・直冬は異母兄にあたる。
興国元年/暦応3年3月5日(1340年4月2日)、足利尊氏の四男(正室・登子の次男)として生まれる。
幼きころより、父・尊氏、執事・高師直と叔父・直義一派の対立が激化したことにより、
正平4年/貞和5年(1349年)、尊氏は嫡男・義詮を鎌倉府から京に呼び戻し、わずか9歳の四男・基氏を鎌倉に派遣、当時、南朝方豪族、鎌倉幕府残党はいまだ健在であり、基氏を補佐する執事として上杉憲顕、斯波家長を置き、この人事が「関東公方」「関東執事、後に関東管領」の始まりとなった。
基氏は6年もの間、拠点を武蔵国入間川に置いたことにより、「入間川殿」と呼ばれ、補佐役の関東管領は畠山正清、高師有、上杉憲顕に替えながら室町幕府の勢力拡大に大きく寄与していく。
正平18年/貞治2年(1363年)6月、一時追放していた前越後・上野守護職の上杉憲顕を呼び戻すにあたって現越後・上野守護職の宇都宮公綱から守護職を剝奪し、憲顕に守護職を与え、足利氏の勢力を強める。
が、正平22年/貞治6年(1367年)、急な病で死去、享年28歳。関東公方職は嫡男・氏満が継いだ。死因ははしかと伝えられるが、自殺との説もある。
なお、同年12月には同母兄・義詮も37歳で死去している。