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大久保彦左衛門の編集履歴

2021-02-03 20:38:26 バージョン

大久保彦左衛門

おおくぼひこざえもん

戦国時代~江戸時代前期の武将。徳川家臣。江戸幕府旗本。「天下のご意見番」とあだ名された。

プロフィール

生没年:1560年~1639年。

松平清康広忠家康の松平(徳川)三代に仕えた大久保忠員の八男。幼名は平助。諱は忠教。

兄に大久保忠世大久保忠佐らがいる。

家康・秀忠家光の徳川三代に仕えた。

概要

長篠の戦いまたは遠江・犬居城攻略戦で兄たちに従い初陣を飾る。高天神城の戦いで勇将・岡部元信を討ち名を馳せる。その後も大久保党の一員として武勇を見せ、第一次上田城攻防戦では味方が崩れ立つ中、勇戦しさらに武名を上げている。


その後は長兄・忠世、忠世死後は年長の甥・忠隣の補佐役として大久保家を支えていたが、大久保長安事件で忠隣ともども改易されてしまう。のち、家康に再び召し出され旗奉行として大坂の陣を戦う。


60歳を過ぎてから『三河物語』を執筆。最後は大久保家の大名復帰を見届けたかのように没した。享年80歳。


関連タグ

戦国武将

徳川軍 三河武士

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