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大久保彦左衛門の編集履歴

2021-02-03 21:06:54 バージョン

大久保彦左衛門

おおくぼひこざえもん

戦国時代~江戸時代前期の武将。徳川家臣。江戸幕府旗本。「天下のご意見番」とあだ名された。

プロフィール

生没年:1560年~1639年。

松平清康広忠家康の松平(徳川)三代に仕えた大久保忠員の八男。幼名は平助。諱は忠教。

兄に大久保忠世大久保忠佐らがいる。

家康・秀忠家光の徳川三代に仕えた。

概要

長篠の戦いまたは遠江・犬居城攻略戦で兄たちに従い初陣を飾る。高天神城の戦いで勇将・岡部元信を討ち名を馳せる。その後も大久保党の一員として武勇を見せ、第一次上田城攻防戦では味方が崩れ立つ中、勇戦しさらに武名を上げている。


その後は長兄・忠世、忠世死後は年長の甥・忠隣の補佐役として大久保家を支えていたが、大久保長安事件で忠隣ともども改易されてしまう。のち、家康に再び召し出され旗奉行として大坂の陣を戦う。


60歳を過ぎてから『三河物語』を執筆。最後は大久保家の大名復帰を見届けたかのように没した。享年80歳。

余談

将軍にすらも憚らず直言し、また義侠の士としても知られた人物であった。このため庶民から人気があり講談においては魚屋の一心太助とのコンビで活躍している。

現在では意外に思えるが昭和時代末期までは誰でも知っていると言ってもいい人物であった。しかし、平成以降は時代劇の衰退もあるが、ゲームとかにもあまり登場しないこともあり知名度は下がった。


信長の野望」では天翔記に出たきりだったが最近になって登場するようになった。能力は大久保党最強クラスであり武勇は服部正成渡辺守綱の両半蔵に匹敵。また政治・智謀・統率も高めであり猪武者だった天翔記の頃とは段違いに使い勝手が向上している。四天王存命時は準エース級だが彼らがこの世を去ってからは松平忠輝井伊直孝らと共に徳川の武のエースとなりうる人材である。


関連タグ

戦国武将

徳川軍 三河武士

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