概要
1848年アメリカニューヨーク州ハイズヴィルのある家にポルターガイスト(騒霊現象)事件が起きました。フォックス一家がこの家に越してきてからというもの、このラップ(叩音)現象に悩まされました。フォックス家の幽霊騒動は当時のマスコミにおいても一大事件として扱われました。
ある日、フォックス家の娘のひとりケイトが「もしこの騒動が幽霊の仕業であるなら、私の問いに答えて」と手を叩いてみせました。すると、驚いたことに手を叩いた数と同じ数のラップを返してきたのです。
その反応に驚いた家族は、アルファベットを綴ったボード(このアイデアが後に交霊用のウイジャボードになった)をもとに、霊との交信を試みたのでした。
すると、このラップでの交信が確かな文章となり「自分は5年前にこの家に住んでいた者に殺された、チャールズ・ロスナーという名の行商人である」と告げてきたのです。そして、自分自身がどのように殺されたのかなど細かに語り「この家の地下に埋められている」とも伝えてきたのでした。
後にこの交信をもとに調査した結果、この家の地下からは人骨と毛髪そして行商人の鞄が発見されました。
この最初に交信された日、それが3月31日なのです。
この日がなぜ記念日であるかといえば、それまでの現世で起きた心霊現象のほとんどはエマニュエル・スウェーデンボルグを代表とするような、霊媒本人のみが知覚しうる心霊現象(「精神的心霊現象」または「主観的心霊現象」という)が中心であったのに対して、
ポルターガイスト現象という「物理的心霊現象」または「客観的心霊現象」という、第三者が知覚しうる現象であったことも大切なポイントであり、歴史上初めて霊との交信を客観的に示したエポック・メーキングな出来事であったからなのです。
それが3月31日なのです。
その後、当時科学研究の中心であったイギリスなどで、心霊現象の研究が盛んに行われるようになり、ケンブリッジ大学関係者により (The Society for Psychical Research)心霊研究協会(霊魂を否定するための研究団体)も設立されました。イギリス人の気質もあってか、日本のように心霊現象を頭ごなしに否定することはせず、否定するのであれば霊魂は存在しないことを証明する必要があるという、科学者として真摯な姿勢であることが興味深いところです。
(また、現在も名称だけが誤謬されてしまっていますが、本来「霊媒」(ミディアム)とは、研究のために霊界との交信を協力する役目を指すものであって、心霊研究用語として誕生したもので、日本のように祈祷師を指すものではないのです)
研究者の中には、イギリスの首相アーサー・バルフォア、タリウム元素を発見した物理学者サー・ウィリアム・クルックス(クルックスが心霊現象を真実であると確信できたのは人体浮遊で有名だったD・D・ヒュームの存在でした。また、フローレンス・クックの交霊実験、エクトプラズムによる完璧な物質化現象、美しい霊「ケイティーキング」とのツーショットの写真はとても有名で、霊はピアノを弾いて見せたりもしました)、 物理学者オリバー・ロッジ卿、ノーベル賞受賞生理学者シャルル・リシェ(1893年には、当時話題になっていたイタリア人霊媒エウサビア・パラディーノを調査する過程で、ギリシア語のecto(外の)とplasm(物質)を組み合わせて「エクトプラズム」という新語をつくりだした)、その他、サー・アーサー・コナン・ドイルなど、歴代著名な学識人が名を連ねていました。
霊魂を否定するために設立された心霊研究協会ですが、現在も存在しているという事実により、いまだ霊魂を否定できていない証拠と捉えると興味深いものがあります。
このように、心霊現象研究に関わった学者の中には、研究を進めているうちに、より霊魂の実在を確信するものたちが続出したのでした。そして、「死後の世界があるということが紛れもない事実であると確信するならば、これまでの常識が覆されることになる。ならば真実の生き方をするべきである」とした哲学をスピリチュアリズム(Spiritualism)といい、その人生観にて生きるものをスピリチュアリスト(Spiritualist)と名付けられたのでした。
また、後に様々な霊界通信は異口同音に「このポルターガイスト事件は、霊界が計画した人類へのメッセージである」と述べています。