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甘露寺方長の編集履歴

2021-04-22 08:04:28 バージョン

甘露寺方長

かんろじかたなが

甘露寺方長とは江戸時代前期の公卿。

概要

甘露寺嗣長の子、官位は正二位、権大納言。


プロフィール

時代江戸時代前期
生誕慶安元年12月3日(1649年1月15日
死没元禄7年2月20日(1694年3月15日
官位正二位、権大納言
主君後光明天皇後西天皇霊元天皇東山天皇
氏族甘露寺家
父母父:甘露寺嗣長、母:家女房
本多康将の娘
子女輔長康隆尚長滋野井公澄

経歴

承応元年(1652年)従五位下、以降は弁官(右少弁・左少弁・右中弁・左中弁・右大弁・左大弁)、蔵人頭となり寛文12年(1672年)に参議に就任した。延宝2年(1674年)に権中納言、天和元年(1681年)に権大納言に就任(以降も2回就任)した。


外部リンク

甘露寺方長 - Wikipedia


関連タグ

朝廷 公家 江戸時代 甘露寺家

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