ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

甘露寺規長の編集履歴

2021-05-10 16:10:19 バージョン

甘露寺規長

かんろじのりなが

甘露寺規長とは江戸時代中期の公卿。

概要

万里小路尚房の子、官位は従一位、権大納言


プロフィール

時代江戸時代中期
生誕正徳3年6月23日(1713年8月13日
死没天明3年12月22日(1784年1月14日
官位従一位、権大納言
主君中御門天皇桜町天皇桃園天皇後桜町天皇後桃園天皇
氏族甘露寺家
父母父:万里小路尚房、母:吉田兼敬の娘、養父:甘露寺尚長
兄弟親長三条西公保
正室:黒田長貞の娘、継室:脇坂安清の娘
子女篤長島津重豪室、唐橋在家室、萩原従言室、山科敬言室、ほか

経歴

享保3年(1718年)に従五位下、弁官・蔵人頭に就任した後は元文5年(1740年)に参議に就任した。寛保3年(1743年)に権中納言、寛延3年(1750年)から宝暦4年(1754年)まで権大納言に就任、安永4年(1775年)に従一位、天明4年(1784年)に死去。


外部リンク

甘露寺親長 - Wikipedia


関連タグ

朝廷 公家 江戸時代 甘露寺家

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました