概要
金沢流北条氏で金沢貞顕とも。
若いころは父が霜月騒動で失脚していたため出世は遅れたが後に家督を継ぐ。
六波羅探題を長く勤め朝廷との関係も深く、金沢文庫を整備するなど文化人の側面もあった。
のちに高時の後継者騒動が安達・長崎両氏の対立で勃発し、貞顕も高時ともども隠居しようとするが長崎氏にかつがれ執権に就任する。
しかし安達一派と高時の弟泰家の反対にあい10日で辞任し出家。
執権は赤橋流の北条守時が継承した。
以後は隠居生活となるが鎌倉幕府滅亡に伴い一族ともども自害した。
なお兼好法師の主君だったという説もある。