「死の克服者、無敵のグリンデルバルドとダンブルドア! 二か月の愚かしくも残酷な夢」
概要
ハリポタ・ファンタビにおけるゲラート・グリンデルバルド×アルバス・ダンブルドアの公式カップリング。今のところ唯一の公式ゲイカップリングである。GGAD表記の方が投稿数が多い。
どちらも卓越した魔法使いであり、周囲を魅了する人物だった。
ゲラートの大おば、バチルダ・バグショットによれば、二人は出会ってすぐ仲良くなったという。死の秘宝を探し求めていることや、魔法使いが主導する理想の社会構造についてのラディカルな思想など、意見が一致するところが多かったのだ。
二人は性的な側面でも深く結び付き、ついには互いは戦わないという血の誓いをした。
これは後に
しかしどこか根本で意見、意識を違っていたことは、二人の仲を最悪な形で破局へと導いた。
後に自らが築いたヌルメンガード城に投獄されたゲラートは、彼の牢を訪ねてきたヴォルデモートに死の秘宝の在処を教えるよう脅され、こう言いはなった。
「殺したくば殺せ、ヴォルデモート
私は死を歓迎する!
お前に理解できぬ事があまりに多すぎる…」
映画「ファンタスティック・ビースト」シリーズでの二人の描写
【グリンデルバルド→ダンブルドア】
第一作『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』において、パーシヴァル・グレイヴスに扮していたグリンデルバルドは、尋問室でニュートを取り調べる際にこう尋ねている。
─────アルバス・ダンブルドアは、なぜそんなに君を気に入っていたんだね?
この言葉は、第一作しか見ていない場合、会話の流れに乗った何気ない質問に過ぎない。しかし、続く第二作『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』において、彼はもう一度ニュートに問いかけている。
─────スキャマンダー君。ダンブルドアは悲しむかな?君が死んだら。
このとおり、彼はダンブルドアにとってニュートがどのような存在なのかをかなり気にしている。
(ちなみに、当時グリンデルバルドを演じていたジョニー・デップ氏曰く、「思うに、グリンデルバルドは嫉妬してるんだ」とのこと。)
【ダンブルドア→グリンデルバルド】
───君とグリンデルバルドは兄弟同然だった。
───兄弟よりも親しかった。
第二作において、闇祓いであるトラバースは、ダンブルドアにグリンデルバルドと戦うよう要求し、拒否される。
その際、トラバースは、ダンブルドアにグリンデルバルドとの過去の映像を見せつける。
脚本版での記述はこうだ。
─────ダンブルドアが映像を見ている。苦しい記憶だ。ダンブルドアは後悔でいっぱいだが、もっと苦しいのは、人生の中でただ一度、自分が完全に理解されていると感じた時を懐かしむ気持ちだ。
(ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 映画オリジナル脚本版より抜粋)
また、そのしばらく後、ダンブルドアは「みぞの鏡」(※己の心の底にある最も強い望みを映し出す魔法の道具)の前に立つ。
鏡に映ったのは、「二人が血の誓いを交わす姿」と「現在のグリンデルバルドの姿」。
これは、ダンブルドアが『血の誓いを破りグリンデルバルドとの戦いを望んでいる』と受け取ることもできるが、『血の誓いを交わすほどの強い結びつきへの懐古と未練』と解釈することもできる。
だが、最も特筆すべきは、みぞの鏡に映し出されたのは過去の姿だけではないということだろう。第二作の時点において、ダンブルドアのグリンデルバルドへの感情は、決して過去のものではないということになる。
第二作の終盤、血の誓約の小瓶をグリンデルバルドから奪ったニュートは、ダンブルドアに質問する。
────破壊できますか?
────たぶんな。……たぶん。
血の誓約を破壊するのがどれほど難しいのか、現時点でははっきりと断定することはできない。
だがこのシーンを見るに、問題が技術的なものだけではないことは明白である。
余談
注意して聞いていると分かるのだが、劇中において「Grindelwald」の発音は二通りある。
①グリンデルワルド
②グリンデルヴァルド
ほぼ全てのキャラクターが①と発音するなか、ただ一人②の発音をする人物がいる。それが何を隠そうアルバス・ダンブルドアその人である。
これは演じる上で故意というより無意識のうちだったようだが、原作者からダンブルドアの過去の全てを聞いてから撮影に挑んだらしいジュード・ロウ氏は、「ダンブルドアはグリンデルバルドと仲が良かったから、『グリンデル“ヴァ”ルドって正しく呼んでくれないか』って言われたことがあるって説を僕は推しているよ」と語っている。
原作者の見解
J.K.ローリングは、アルバス・ダンブルドアとゲラート・グリンデルバルドの関係について下のようにコメントした。
「彼らの関係は信じられないほど強烈でした。情熱的で、愛に満ちた関係でした。でも、どんな関係でもそうですが……相手が何を感じているのか、本当のところはわかりません。知ることができないのです。知ることはできませんが、知っていると信じることはできます。だから私は、この関係には性的な側面もあると思いますが、性的な側面にはあまり興味がありません。それよりも、二人がお互いに感じていた感情というものに興味があるのです」