概要
一条信龍は、武田信虎の9男あるいは10男として、1539年か1541年に産まれる。異母兄に信玄、信繁、信廉らがいるが、信玄とは20歳近く歳が離れており、信玄の嫡男太郎義信よりも年下の叔父という関係になる。
姓が武田姓ではない為、冷遇されているかのように思えるが一条家は武田家の分家だが、鎌倉時代の断絶している名家を継ぐ適任者が居なかった家を継ぐというのは、非常に名誉なことである。
信龍は関する記録は乏しいが、山県昌景が『信龍殿は武具の手入れを怠らず、煌びやか軍装に身を包んでいる。』と評価しており、馬場信春と並ぶ武田家の武人とも伝わっている。
信龍は兄信玄並びに甥勝頼を善く支え、1582年の武田滅亡の際には徳川家康の降伏勧告を断り、僅かな手勢で徳川軍に突撃して討死したと伝わる。