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チェルノブイリ原子力発電所の編集履歴

2022-04-20 18:01:00 バージョン

チェルノブイリ原子力発電所

ちぇるのぶいりげんしりょくはつでんしょ

ウクライナで稼働していた原子力発電所

概要

正式名称V・I・レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所レーニンの名前が含まれているが、実際はレーニン縁の地というわけではなく、「共産主義とはソビエトの権力と全国の電化である」というレーニンの言葉にちなんで名づけられた。また施設名に「チェルノブイリ」とあるものの、所在地は都市としてのチョルノービリチェルノブイリ)からは冷却用の人工湖を挟んだ対岸(北西約18km)と離れた位置に所在している(そのため、発電所職員の居住地として新たにプリピャチという都市が造成されていた)。


1986年4月、炉の停止前を利用した不適切な実験によって4号炉が世界最悪規模の爆発事故を起こした。

作業員の連絡の不徹底や手順ミスなどが重なったと見られており、炉心から燃料が漏れ出して大量の放射線が放出された。


ソ連当局は当初事態を隠蔽しようとしていたが、2日後にスウェーデン国内で高線量の放射性物質が発見されたことで事態が発覚。

周辺住民が避難させてもらえたのは事故発生から3日目のことだった。

死亡者は現場で33人と言われているが地元民の被害の詳細はわかっていない。16万人が避難を余儀なくされたと言われており、未だ半径30km以内の居住は禁止されている。

近隣の森は木々が枯れ果て「赤い森」と呼ばれいまだに高い放射線が残留している。


ちなみに当時のソ連指導者ゴルバチョフがこの事態を知ったのは、西側のニュースを見てからである。このことから彼は組織改革の必要性を痛感し、ペレストロイカやグラスノスチといった改革へと至る。


1991年のソ連崩壊後は名称がチェルノブイリ原子力発電所へと改称されたが、発電所入口の看板は交換されていない。


事故後も1号機から3号機までは発電を続け、運転が停止したのは事故から10年以上が経過した2000年のことである。

ウクライナ侵攻によるロシア軍兵士被曝事件

2022年2月25日ウクライナに侵攻したロシア軍によって完全に占拠されたが、同年3月末をもって理由は不明だがロシア軍が現地を離れている。


欧米系メディアの報道によると、ロシア軍兵士が「赤い森」に塹壕を掘って滞在したため放射線障害の症状を呈してベラルーシの病院に搬送されたとされている。

ロシア軍撤退後ウクライナ側の管理会社「エネルゴアトム」が調査を行い、ロシア軍が赤い森の地面に塹壕を掘って一ヶ月滞在するだけでなく敷地内の廃棄物貯蔵庫からコバルト60などの放射性物質を盗んでいたことを公表。

「数秒でガイガーカウンターが振り切れるレベルの線量」であるものを素手で掴むと言うとんでもないことをやらかしていたことが発覚、ロシア軍の兵士への教育が全くできていなかったことが改めて世界に知られた。

現地の混乱もありロシア兵が持ち去った放射性物質の行方はわからず、被曝事故の拡大や被害は掴めない状態にある。



関連タグ

事故 おそロシア

大韓航空機撃墜事件:ソ連時代のやらかしの一つ。

ゴイアニア被曝事故:放射性物質への知識がない窃盗犯が泥棒により起こした被曝事故。

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