曖昧さ回避
- 建築物の一種。当記事で解説。
- まるでピラミッドのように、キャラクター等が積みあがっているイラストに付けられるタグ。
- 日本のゲーム会社。
概要
エジプトや中南米などに存在する、石やれんがを積み上げて造られた四角錐状の建築物。金字塔とも呼ばれる。
ギリシャ語でパンを指すピラミスが由来で、エジプト本来の呼び名は不明。
エジプトのものは、主に紀元前2600~2200年頃の古王国時代と呼ばれる時代に建造され、一般的には王族の墓とされている。その根拠としては、ピラミッド自体が初期王朝時代に王墓として用いられていたマスタバの進化系である事(最初のピラミッドであるジェセル王の階段ピラミッドはマスタバを重ねたような形状である)、ピラミッド付近に葬祭神殿跡が残されている事、全てのピラミッドが死者の領域であるナイル川の西にある事、実際にミイラや副葬品が発見されたピラミッドが存在している事、第5王朝時代のピラミッド内にはピラミッドテキストという王の来世での復活に関する文章が書かれている事が挙げられる。
ただし、1人の王が複数のピラミッドを作っていたり、内部に空間の無いピラミッドも存在している為、全てのピラミッドが墓として用いられていた訳ではない。
天文観測や宗教儀礼を目的とした説もあ6るが、それに関する論文は存在しない為、真面目に取り扱われてはいない。
最大はギザにあるクフ王のもので、底辺の一辺が230m、高さは146mにもなる。
中王国時代以降にもピラミッドは建造されてはいるものの、古王国時代のピラミッドに比べると宗教観の変化等で小型化している上に、材質が石材ではなく日干し煉瓦を用いている。
かつては奴隷を酷使して作られたと考えられていたが、近年の研究ではそうではない事が判明している。
ピラミッド付近にピラミッド建設に従事していた労働者達が住んでいたと街(ピラミッド・タウン)の遺構が発見されており、通年でピラミッド建造に携わる専属の職人が存在していたのはほぼ確実と考えられている。乾季に農作物が取れず仕事が無い国民のために国が立ち上げた公共事業とされた説もあったが、実証性を伴っていない為、有力視されてはいない。
当時は貨幣が発明されておらず、その代わりにパンやビールなどが給料として支給されていた。工事の最中に事故死した者もいたらしく、いわゆる追悼の場所もあったようで、他の参加者同様に食料が供えられていたとも言われている。また、エジプト全国の参加者の名前を登録して戸籍を作る目的もあった模様。
また、ルクソールに複数の王が埋葬されている王家の谷という場所もあるが、これはピラミッドが建造されていた古王国時代から1000年以上後の新王国時代に造られた物であり、古王国時代のファラオとは無関係である。
有名なツタンカーメン(トゥトアンクアメン)やラムセス2世の墓はこの王家の谷にある。
中南米のものは、神殿の基壇として建造された。
日本テレビが放送していた「木曜スペシャル」のプロジェクトにおいて当時のエジプト政府の協力を得て、小規模ながらピラミッドの建築方法を忠実に石の工程から何から当時と同じ形で再現して実際に証明した事もある。麹町スタジオの敷地にそのピラミッドの頂点となるキャップストーンが設置されていたが、2019年に福島県いわき市にある東日本国際大学に移転し現在はこちらで展示されている。