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陸奥守吉行の編集履歴

2022-06-10 16:13:06 バージョン

陸奥守吉行

むつのかみよしゆき

江戸時代初期の陸奥国中村出身の刀工、またはその作品である刀。

誘導分岐

  1. 江戸時代の刀工。また彼の鍛えた刀の銘。後述。
  2. ブラウザゲーム「刀剣乱舞」に登場する刀剣男士。→陸奥守吉行(刀剣乱舞)
  3. メディアミックス「天華百剣」に登場する巫剣。→陸奥守吉行(天華百剣)

概要

陸奥守吉行は江戸時代初期の陸奥国中村出身の刀工で、本名は森下平助

土佐に移住したことから土佐吉行とも呼ばれる。

その作品は土佐の刀の中でも特に優れていると評される。


坂本龍馬の刀として知られており、暗殺されたときにも佩刀していたという。

もとは坂本家の先祖伝来の刀であったが、兄の権平より龍馬に贈られた。二尺二寸の刀で、京都に行く時はいつもこれを差し、兄の贈り物だと自慢していた。

近江屋においては刺客の攻撃を鞘に入ったまま受け止め、鞘は割れ刀身にも傷が入った。その後龍馬の甥の手に渡り、坂本家が北海道へ移住するのに合わせて同地へ渡った。


1913年(大正2年)、北海道釧路市の大火で羅災、高熱により反りが失われてしまった。

後に研ぎ直され、1931年(昭和6年)に坂本家7代当主・坂本弥太郎によって恩賜京都博物館(現・京都国立博物館)に寄贈。現在に至るまで所蔵されている。


現在の姿は陸奥守吉行の作風と異なっており、龍馬の佩刀であるかは懐疑的な見方をされていた。

しかし2015年(平成27年)に寄贈の経緯を記した書類が発見。科学調査では刀身の下にうっすらと吉行の特徴である拳型丁字の刃文が確認でき、もって本作が龍馬の佩刀であると断定、大きな話題を集めた。


2021年(令和3年)7月には、羅災した本作が研ぎ直される直前に取られたとおぼしき押型が、北海道室蘭市の日本製鋼所室蘭製作所内の「瑞泉鍛刀所」資料館で発見。焼身の状態を確認できる貴重な資料となった。


関連タグ

刀鍛冶 日本刀 打刀

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