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ラ・イルの編集履歴

2022-06-29 08:14:08 バージョン

ラ・イル

らいる

本名、エティエンヌ・ド・ヴィニョル。 フランス軍人でジャンヌ・ダルクの戦友出会った。

経歴

ガスコーニュのプレシャック=レ=バンに生まれる。

少年時代からイングランド軍との戦いに明け暮れていたという。アルマニャック伯ベルナール7世元帥の軍に加わったのが最初の軍歴である。1411年にピカルディーへ侵攻、1418年にアルマニャック派の一員としてシャルル7世の軍に加わり、ブルゴーニュ派との戦いで頭角を現す。クシー城を一時的にブルゴーニュ派から奪還した戦いで武名を挙げる。この際に「王に非ず公に非ず、侯にも非ず、伯にも非ず、我はクシー城主なり」という言葉を残したといわれる。

その後、バル枢機卿ルイ1世に雇われ、ヴェルマンドワ、ラン、ロレーヌなどで戦った。1421年にはボージェの戦いに参戦している。この際に止まっていた宿で暖炉が彼の足の上に落ちてきて片足を骨折した。この後遺症で足を引きずるようにして歩くようになったが、彼の傭兵生活の妨げとはならなかったようである。1427年にイングランド軍がモンタルジを包囲した際、ジャン・ド・デュノワらと共にイングランド軍を破りモンタルジを解放した。

1428年10月25日にオルレアン防衛のための援軍としてデュノワと同郷のジャン・ポトン・ド・ザントライユらと共に同地に駆け付け、目覚ましい戦功をあげた。またシャルル7世から軍資金を引き出すため、オルレアンとシノンの王宮を何度も往復した。1429年2月のニシンの戦いに敗れオルレアンから離脱するが、ジャンヌ・ダルクがやってくると、彼女に最も忠実な戦友の1人となった。ジャンヌと共に戦ってイングランド軍のオルレアン包囲網を突破、続いてアランソン公ジャン2世ジル・ド・レアンドレ・ド・ラヴァルらと合流してロワール川沿岸を進軍した。パテーの戦いではザントライユと共に指揮官としての才能を存分に発揮し、フランスに勝利をもたらした。

1431年、ルーアンへジャンヌ奪還に向かうも失敗、ジャンヌが火刑台で処刑された時には、自身もドゥルダンでイングランド軍の捕虜となっていた。シャルル7世が身代金の一部を負担することにより解放され、解放後にはフランス軍の総司令官となったアルテュール・ド・リッシュモン大元帥の主要な武将として活躍。ザントライユと共に指揮官として1435年のジェルブロワの戦いに臨んだ。この勝利によって、1438年にはノルマンディー総司令官と呼ばれたが、1443年1月11日、モントーバンで負傷、死去した。


ラ・イルが登場する作品

ユリシーズ』ジェイムズ・ジョイスの小説。

イナズマイレブンGOにも登場する。

『BlackWordシリーズ』戦友として描かれる。偶に主人公にもなる。

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