概要
本名 | ジル·ド·モンモランシー·ラヴァル |
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Gilles de Montmorency-Laval | |
通称 | ジル・ド・レ |
Gilles de Rais | |
生年月日 | 1404年9月10日 |
没年月日 | 1440年10月26日 故36歳 |
百年戦争時代の仏(フランス)王国軍の大元帥(マレシャル(マーシャル))で、ジャンヌダルクや同じ元帥のアルチュール・ド・リッシュモンとともに有名な騎士。本名はジル·ド·モンモランシー·ラヴァルでジル・ド・レは通称。15世紀のフランス王国のブルターニュ地方ナントの代々続くラヴァル家の封建制領主(貴族)の男爵である。
生い立ち
1404年終わり頃、裕福な名門貴族の長男として生を受ける。ギー2世・ド・ラヴァルの息子でギー・ド・ラヴァルの孫。母方の祖父はジャン・ド・クラン、曾祖父は仏王国大元帥ピエール・ド・クラン。同じく仏王国大元帥だったベルトラン・デュ・ゲクランの曾姪孫でもある。
ラヴァル家はフランス王国きっての名門の出の人間で家格としては時のシャルル7世の王家にも互角であった。ジル・ド・レ自体が芸術や武術に才能のある美男子であったという。
後見人である祖父のジャン・ド・クランの手腕は悪い意味で凄まじく、拉致した娘とジルを事実婚させて土地を奪うなどで多くの敵を作るも、財を得る才能は確かであり、それを間近で見ていたであろうジルも晩年は同じような方法で人々を苦しめている。
後年のジルの悪行は自身が受けた幼いころの虐待が原因ではないかともいわれている。実際に中世の貴族の子供の帝王学は虐待そのものであることが多かった。
百年戦争の英雄として
当時フランス王国はイギリスとの百年戦争の真っ最中であった。祖国が戦禍とペストに苦しめられていた中、ジルは自前の軍勢を率いて戦地を転々としている。ジャンヌ・ダルクに協力し、戦争の終結に貢献し「救国の英雄」とも呼ばれた。
英雄から背徳者へ
ジャンヌ・ダルク死後は、フランス国王をしのぐフランス一の財産をもつ領主となり、それを持ち湯水のように浪費した。そして徐々に自らの黒い情念を出すようになった。ジルは自身の領地から選りすぐりの美少年たちを集め、時には誘拐してペイジ(騎士見習い)とし身の回りの世話(夜の慰めも恐らく含む)をさせ、自費で領地に大聖堂をたて少年合唱団として使ったりしだした。時に宴会などを催すときに彼らに命じて腰布一枚で酌童(ガニュメデス参照)させ、悪酔いした宴会仲間が少年を押し倒し情事に及ぶ様子などを見物したりした。
当時のジルは錬金術師フランソワ・プレラーティと知り合い、彼と錬金術、黒魔術を行う様になっていた。ジルは前にもまして美少年たちを拉致し、少年たちを生贄として嬲り殺したが錬金術の「実利」目的ではなく、生贄とされた美少年の凌辱と殺害に性的興奮を得ていたとされる。
美少年の犠牲者は800人から1,500人だと伝えられている。その際少年達に敢えて安心する様に優しい言葉をかけたり、涙を流して許しを乞いながら頑張れ、もうすこし耐えれば助かるぞと激励しながら殺害したりという行いをしていたらしい。
狂気の終焉
1440年、サン=テティエンヌでミサを乱し、主権を巡って抗争していた諸侯の弟を拉致・監禁したことが大司教の逆鱗に触れ、これが元で幼児誘拐及び殺害、悪魔信仰などで告発されプレラティと共に捕らえられる。裁判ではすべてを告白し泣きながら懺悔し、その場にいた人間たちに許しを請うた。ジル本人は『地獄』に堕ちることを非常に恐れていたという(彼は敬虔なカトリックでもあった)。ジルの悪行を聞いた聴衆者は天を仰ぎながら気絶するものが絶えず、これほどの悪事をなすには悪魔の力を借りたに違いないと信じた。
このため同年10月26日、絞首刑に処せられる。死体はその後火刑(※)にされる予定であったがこれは取りやめられた。処刑後の死体の周りには人だかりが出来、ジルの魂が救われるようにと民衆が祈りを捧げたという。ジルがこのような所業に及んだことについては、憧れの主君であるジャンヌ・ダルクが国の為に偉大な功績を残しながら国に裏切られ、異端として火炙りになったことから精神を病んだことが原因とされる。またのちにペローの童話に登場する殺人鬼青髭のモデルとなったと言われている。
※死後の火刑は死体の侮辱を意味し、最後の審判後蘇るための身体を喪失する事になるため、「蘇る価値のない醜悪な罪人」であると示す、当時のキリスト教において非常に重い刑罰、尤もこの価値観が原因で"死体を焼却できない=感染性の疫病が死体に残り、ばら撒かれる"という最悪のデメリットが発生したため、キリスト教圏は非常に疫病が多かった。
余談
どこまでが真実だったのか?
大量虐殺者として知られるジル・ド・レだが、既にジルの時代でさえ世の恐怖を煽るために事実の誇張が行われていた為、現在に伝えられる犠牲者数は文献により140人から1,500人と10倍もの差がある。そのため、正確にどの程度の犠牲者があったのかは今日ですら定かではない。
また前述のようにフランス国王を並肩する財産の持ち主であったことから、ジルは多くの公敵を作っていた。特にブルターニュ公ジャンはこの領地没収に執心していたことから、悪魔信仰の告発の糸を引いたのも彼による陰謀であるという説がある(早い話、手っ取り早く国庫を潤すために、民に重税を課したりするのではなく国よりも金を持っていたいち貴族を無実の罪で告発して全財産を没収してしまおうとされたのではないか?という説である)。実際にフランス王室は全く無実の資産家を同じ手口で処刑してきた前科があり、この説はそれなりに有力視されている。
公判についてもジル側の証人は事前に拷問されていたと考えられる上、自身も公敵の多さから告発によって命は助からぬものとみて、後事を慮って偽りの告白をしたとも考えられる。(当時の刑法によると、自らが罪を認めずに有罪となった場合、領地及び財産を国に全て没収されるが、懺悔して罪人として処刑されるなら財産の一部を遺産として子息に残すことが出来た。)
事実この処刑の結果、名門ラヴァル家の家名は汚される事となったが相応額が家人に残される事となった。この中には後に王に仕え相当の高位に付く者もあった。
フィクションのキャラクター
幾多のフィクションに、その経歴をモデルにされた。
小説
こちらは変貌した後の姿で、『Fate/GrandOrder』では騎士時代の姿も登場した→ジル・ド・レェ(セイバー)
漫画
ゲーム
その他
- 青髭(童話)
関連タグ
表記揺れ
その他
ジルドレを崇拝していたらしい。たしかにソドム百二十日の内容を現実にやったような人生ではある。
キリスト教原理社会の中世では同性愛は禁であり破門=死刑になったが、貴族の騎士と騎士見習いの間では密かに流行っていたと言われる。少年愛行為で騎士員が極刑に処され騎士団が解散させられた「テンプル騎士団」などが有名である。