概要
ヘンリー・リー・ルーカスとは、全米17州で殺人行脚を繰り返し、総数360人あまりを殺したと言われる最も凶悪な連続殺人犯の一人である。
その特異性から専門の捜査班が結成されるなど、架空の天才殺人鬼ハンニバル・レクターのモデルのひとりとして有名。文中では呼称をルーカスとして統一する。
最後の逮捕
1983年、テキサス。ルーカスは無二の殺人相棒であるオーティス・トゥールとともに、80歳になる家具屋の老婆を手にかけていた。
息をするように人を殺すルーカスにとってそれは珍しいことではなかったが、少し前に最愛の人を手にかけていたことから落ち込みを隠しきれず、後始末はずさんになっていた。
そんな彼らを、家具屋の友人である保安官コンウェイが疑ったのは当然の成り行きで、トラックの助手席についていた血痕を見とがめ、二人を警察へ連行した。
血痕を調べた結果、血液型はO型で、老婆のA型と異なるものだった(鑑識はA型が時間経過によってO型反応に変じることを見落としていたらしい)。
ルーカスは嘘発見器にもかけられたが鑑定結果はシロ。特異な環境で育ったルーカスにはナチュラルな虚言癖があり、この検査は無意味に等しかったと思われる。
決定的な証拠がなく解放されたルーカスらはテキサスを出ようとしたが、彼を疑うコンウェイは再度のテストを要請。
それをクリアする自信があったルーカスは、終わったらさっさと脱出しようと考え、未登録の拳銃を宿泊先に隠して出頭した。ところがこれが発見されたうえ、硝煙反応も検出されたため逮捕、テキサス州モンテギュー郡拘置所に収監された。
最愛の人を失い、ドラッグと酒を断たれたルーカスは、独房のなかで孤独感と禁断症状に苦しみ続けた。
そんな時、彼はふと誰とのものともしれぬ声を聞いた。美しく温かい光に包まれた彼は「すべての罪を告白するのだ」という神と思しき声に従い、看守を通じて判事への面会を願い出た。
「イエスがすべての罪を告白するように命じられたのです。それに従わねばなりません」
「いったいどれだけの人を手にかけたというのかね」
「まず100人というところから始めさせてください。とてもそんな数では足りませんが」
そこからヘンリー・リー・ルーカスの殺人遍歴があきらかにされていった。
生い立ち
1936年8月バージニア州ブラックスバーグ。38歳の娼婦ヴィオラ・ルーカスは身ごもっていた。
12歳の頃から売春していた筋金入りの娼婦である彼女にとって、11番目のありがたくない子供だった。
どうせ生まれても、今までのように捨てるか売るかするしかないのだ。
もっとも、サドマゾ専門が売りだった彼女は「妊婦の腹を蹴りたいサド男」を探して商売していたという。
ある時、客に「女の子が生まれたら親子ごとで買うよ」と言われた彼女は、新たな客層の期待に胸を膨らませたが、生まれたのは男の子だった。のちのヘンリー・リー・ルーカスである。
ヴィオラは消沈したものの、すぐに「女の子として育て、男の喜ばせ方を教えよう」と発想を転換。ヘンリエッタと呼んで女児の産着を着せ、髪が伸びるとかわいらしくカールをかけた。
ヴィオラには元鉄道員だった夫アンダーソンがいたが、列車事故によって両足を失い、密造酒をはじめとする内職によって細々と稼いでいた。
しかし作った酒は殆ど自分が消費し、蒸留器の番をルーカスにやらせることも多かった。そのためルーカスは幼くして酒の味を覚えた。
アンダーソンとルーカスに血のつながりはなかったといわれる。
ヴィオラは虫の居所が悪いとすぐにルーカスを虐待した。例え幼くともその仕打ちに容赦はなかった。
さらに彼が物心つきはじめると、売春の客から特別料金をまきあげて目の前で「商売」に及んだ。
ある冬の日「薪をとりに行くよ」と怒鳴る母に、「ちょっと待って」と答えたルーカスが大急ぎで支度すると、角材を持った母が戻ってきた。顔を上げたルーカスをヴィオラは角材で殴り、彼が昏倒したのちも殴り続け、あげく屋外へ放り出して酒を飲んで寝てしまった。彼が病院へ担ぎ込まれたのは二日後。しかもたまたまやってきたヴィオラのヒモの手によってである。
ルーカスは最後の逮捕後に精密検査へかけられ、結果、脳の神経系が広範囲に損傷していることが分かった。それはヴィオラによる過度の虐待が原因とみられる。
こうまで手ひどく虐待するわりに、ヴィオラのルーカスに対する執着は強く、もしかすると彼女はサディズムでしか息子への愛情を表現できなかったのかもしれない。
また「母の気に添うようにしなければ生き延びられない」という過酷な少年時代が、「相手の望む答えを本能的に察して虚言を操る」という、ルーカスの特殊な才能を育むことになった。
左の義眼
不遇な少年時代を送ったルーカスにも、温かい手を差し伸べてくれた人物がいた。小学校の女性教師ホールである。
ルーカスも6歳になると学校に行くことになったが、変態に育てようとする母によって女装させられていた。
驚いたホールが法廷に訴え「ルーカスに男の格好をさせよ」という判決を勝ち取り、ようやくズボンが与えられたものの、それは母からではなく教師たちからのプレゼントだった。
またホールは常に栄養失調気味だったルーカスに、温かい食事を振舞ったとも言われる。
少年時代、ルーカスは腹違いの兄と親交があり、よく森の中で遊んでいた。その兄がナイフで小枝を切り落としていたとき、手が滑ってうっかりルーカスの左目を切り裂いてしまう。
傷口を洗って包帯で応急処置を施したが、ヴィオラがそれを見逃すはずはなく「またヘマをやりやがったな」と毒づき、棒で小突いた。傷は化膿して、顔がボールのように腫れあがった。
きちんとした処置を施されたのは、驚いたホールによって保健室に連れて行かれてからだった。
ホールの対応によって傷の峠は越えたと思われた。しかし別の教師が授業中、いたずらをやめない子に向けて投げた定規がかわされ、運悪くルーカスの左目を直撃してしまう。
これがだめ押しとなってルーカスは左目を失った。
意気揚々と学校へ抗議に行ったヴィオラは、二度とホールらをルーカスに近づけない約束を校長にとりつけたうえ賠償金をせしめ、一番安い義眼を買って、残りはすべて酒に使ってしまった。
14歳になった頃、父が急性肺炎で死去。ルーカスは仲のよかった義兄を追って海軍を志願したが、この義眼を理由に拒否されてしまう。
ヴィオラは「お前が行く場所などあるものか。お前は一生、あたしの奴隷なんだ」と罵った。これをきっかけとしてルーカスの奇行が始まるようになる。
母の最期
10代半ばになるとルーカスは学校に行くのをやめ、森で動物の虐待にふけっていた。15歳のとき、家に帰ると母が客と「仕事」をしていた。
気分を害した彼は再び家を出て、通りすがりのバス停にいた17歳の少女を捕まえて暴行殺害した。ルーカス最初の殺人だったが、この犯行が明らかとなったのは最後の逮捕後、彼自身の供述によってだった。
ルーカスが最初に逮捕されたのは、殺人ではなく窃盗だった。更生施設へ送られ一年後に出所したが、また盗みを繰り返し別の更生施設へ入所。外に出たときには23歳になっていた。
ミシガン州の義姉のもとに身を寄せたルーカスは、そこでマリーという女性と恋におち、生まれて初めてまともに働こうと決意したが、それを嗅ぎ付けたヴィオラがわざわざやってきて息子を罵倒し、連れ帰ろうとする。
しかしルーカスの決意は固く、二人は激しい口論となった。ヴィオラの下品な悪罵に堪えられなくなったマリーは家を飛び出し、二度と帰ってこなかった。
喪失感に震えるルーカスの中で、母への憎悪がかつてないほど膨れ上がっていた。
なおも抵抗する息子に、ヴィオラが箒で殴りかかった直後、ナイフを持ったルーカスの右手が素早く動いた。
半日後、心配した義姉が訪ねてみると、喉を切り裂かれたヴィオラの遺体だけが残っていた。
母の影に怯えたルーカスは、車を盗んでバージニア州に向かったが、いつまで経っても母が蘇ってこないことに安心してミシガン州に戻ろうとしたとき、州境近くで保安官に職務質問され、殺人容疑で逮捕された。
オーティス・トゥールと「ベッキー」
40年の懲役を受けたルーカスは、ミシガン州刑務所で自殺未遂を繰り返した。その一方で大学レベルの訓練コースをやりとげている。
1970年代、アメリカの刑務所は財政難に苦しんでおり、多くの囚人を仮釈放審査委員会にかけていた。ルーカスもそのひとりに選ばれ、こんな質問を受けた。
「君は仮釈放されたら、再び殺人を犯すかね?」
「釈放されたら、自分はその足で必ず人を殺します」
審査員はこれを刑務所暮らしが長かったために生じた、社会に対する不安だろうと判断したが、10年の監獄生活から解放されたルーカスは予告どおり、刑務所のすぐそばで女性を暴行殺害した。ルーカスの殺人行脚の始まりだった。
1979年、フロリダ州のきのこ農場で働いていたルーカスは、オーティス・トゥールという男と出会った。
1947年生まれで、IQが75前後(平均値は100)というトゥールは8歳のころから麻薬と酒に溺れ、14歳で人を殺し、25歳の時に無数の犯罪で有罪を受けた人物である。
同性愛者であり、火に魅了されていた彼は、男を狙って焼き殺すことを好んだ。同じような境遇のルーカスとトゥールはすぐに意気投合。
週末にはドライブに出かけて気ままに殺人を繰り返し、その肉で宴を開いた。二人は最高にして最悪のコンビとなった。
トゥールはルーカスに心酔し、愛情を持っていたようだが恋人関係にはならなかった。殺害方法もルーカスがあっさりしていたのに対し、トゥールはかなり残虐と相違点が見られる。
とはいえ相棒としては無二であったらしく、ときどきコンビ解消をちらつかせて、ほとんど風呂に入らないルーカスにシャワーを促した。
「彼に会ったときはゴミ箱みたいだったよ。彼は体を洗いたがらないんだ。体は毎日洗わなきゃいけない。月に一度じゃダメなんだってね」
ルーカスが恋仲になったのはトゥールではなく、その姪フリーダだった。彼女を内縁の妻としたルーカスは愛をこめて「ベッキー」と呼んで可愛がった。
ルーカスの愛はプラトニックだった。ペディキュアを塗り、かわいい服を着せ、髪をすいた。酷い娼婦を母にもった彼にとって、性行為は歪んだ愛として映っていた。
もし性欲をもてあましたのなら、外に出かけて楽しんだあと殺せばいいだけのことだった。
しかしそんな蜜月も長くは続かなかった。キリスト教に目覚めたベッキーがルーカスに「真人間になれ」と諭すようになってしまったのである。
狼狽するルーカスの頬を、逆上したベッキーが平手打ちした瞬間、母を殺した時と同じように反射的に手が動いていた。ルーカスは生涯最愛の人を失った。
3000人殺し
ルーカスは最後に逮捕されたあと、当初3000件もの殺人を自供したと言われる。これはもちろん誇張で、一般的には360人ほど殺したと言われる。
本能的に虚言を発してしまう彼のこと、これが正しい数字であるとも限らないが、逆に偽りであるという証拠もない。
裁判所は160人から180人であろう、という判断を下している。360の約半分以下の数字ながら、それでも充分大変な人数である。
神に促されて自供を始めたと言うルーカスであったが、虚言癖ゆえにどこまで信頼できるか定かではなかった。
彼は殺害内容について克明な記憶を持っているらしいのだが、そういった虚言によって捜査班は常に翻弄された。
証拠合わせの手がかりとなるはずの相棒トゥールはIQの問題に加え、「殺した数は数えない。興味がない」という人物であり、まったくあてにならない有様である。
二人の殺人行脚については、ルーカスの口から「死の腕」という秘密犯罪組織との関わりが示されたが、これは3000人殺害に並ぶほど荒唐無稽である。
彼らのような人物が、そういった秘密組織に属して任務を実行できるとは考え難い。そのためこの説に関して、現在では殆ど信じられていない。
結局、殺人罪として確定したのは9件で、物的証拠があるのは2件にとどまった。判決は死刑である。
ルーカスはテキサス州ジョージタウン刑務所の厳重警戒房に収容された。
どの職員もひとりで囚人と接してはならず、規則を無視して囚人と接触した結果、なにが起こっても行政当局は一切関知しない、とする棟であった。
困難を極める犯行の捜査には、「ヘンリー・リー・ルーカス連続殺人事件特別捜査班」が結成され、ルーカスはその正式メンバーとして協力しながら、刑の執行を待つ身となった。
1998年に刑が執行されるはずが、ここで彼の悪癖が意外な形で作用する。
取調官たちがルーカスの虚言癖に便乗し、多くの未解決事件を彼のせいにして片付けようとしたことが発覚したのである。
彼らがルーカスの「自白」を元に報告した事件のうち、DNA鑑定によって無関係と露見したものは20件もあった。
事実を無視して相手の望む事だけを言うルーカスは悪徳官吏にとって都合がよかったが、その言葉は全くの無価値であることが再確認された。
確定したとされる9件の犯行も、結局は彼の自白に頼っていた側面が有り、その確実性は一挙にあやふやなものとなってしまった。
事態を重く見た時の州知事ジョージ・W・ブッシュは証拠不十分を理由に終身刑に減刑。
ブッシュは死刑推進派であり、きわめて異例のことだった(なお、これはあくまで「疑わしきは被告人の利益に」という法の原則に基づいた措置であり、ルーカスが本当に9件全て無実であった可能性は限りなく低い)。
その後2001年にルーカスは心臓発作で死亡。享年64歳だった。
後世への影響
ルーカス事件によって、もっとも影響を受けたと思われるのがトマス・ハリスによる小説「羊たちの沈黙(1988)」である。
この作品に登場する主人公ハンニバル・レクター博士は、ルーカス同様に類稀な連続殺人犯であり、カニバリストであり、特殊監房の中から捜査協力をする身である。
ハリスはレクターのモデルを明確にしていないが、記者見習い時代にルーカス事件に関わった経緯があり、レクターの中核として彼を据えたのは確実であろう。
ただしルーカスにはレクター並みの知性はなく、この点からIQ160の連続殺人犯テッド・バンディなども参考にしたのではないか、と言われる。
「羊たちの沈黙」は1990年に映画化され、アカデミー賞で作品、監督、主演男優、主演女優の主要四部門を受賞。
サイコサスペンスの新たな方向性を示した人気作となり、多数の続編が生み出された。これにともなって、モデルのひとりと言われるルーカスの知名度もあがった。
1986年にはルーカスをモデルとした映画「ヘンリー」が製作された。
しかし製作会社が意図したようなホラーではなかったためお蔵入りとなり、公開されるまでに4年を要した。
本作の演出や俳優の演技に関して、日本のホラー映画監督の鶴田法男氏が「秀逸である」と褒めている。
いまひとつ、ルーカス事件を取り込んだという確証が取れているわけではないが、重要な作品を挙げておきたい。
アメリカンコミックスで不朽の名作のひとつに数えられる「ウォッチメン(1986)」である。本作は多数の生身(肉体強化のない)ヒーローと、ひとりの超人(まさしく神に等しい)ヒーローを軸に、多角的な視点からドラマが繰り広げられるミニシリーズで、DCコミックス社より全12回にわたって発行された。
ライターはアラン・ムーア、アーティストはデイブ・ギボンズ。カービー賞、アイズナー賞、ヒューゴー賞など権威ある賞を数多く受賞したことで知られる。
以下、ネタバレ注意
ロールシャッハ
ヒーロー規制法によって、コメディアンとドクター・マンハッタンをのぞく全てのヒーロー行為が禁止されたアメリカで、ただ一人、法に反してでもヒーローを続けるアウトロー。
本名ウォルター・ジョセフ・コバックス。娼婦の子として生まれ、母に虐待を受け、過酷な貧民街で育った彼は、幼い頃からいかなる手段を使ってでも敵を倒す技能を身に着ける。
他のヒーローと比べても最初から暴力的だったが、とある少女誘拐事件をきっかけとして、悪党を殺すこともいとわぬ過激な性格と化した。
風呂に入らないため体臭がひどいという描写が見られ、これらの特徴からコバックスはルーカスをモデルにした可能性がある。
ただし外見や「妥協しない」という性格の原型は、チャールトンコミックスの「mr.A」と「ザ・クエスチョン」からとっている。
ルーカスを犯罪者の頂点として変化させたのがレクターなら、もしヒーローになっていたら、と想定して生み出されたのがロールシャッハのように思える。
これぞ発想の転換ではなかろうか。
画面からは体臭が伝わらないためか、コートにソフト帽といったハードボイルドな服装で、悪を容赦なく裁く彼には一定のファン層があり、欧米でウォッチメンがゲーム化された際は彼と相棒のナイトオウルが主人公にされた。